2014年06月24日

マクガフィンは、ハッタリである

物語の小道具や舞台装置のなかで、
機能する、それが何であっても構わないものをマクガフィンという。
(物語の進行に、その意味が何であってもよく、
物語上の機能として必要なもの。
スパイ達が奪い合うマイクロフィルムなど。
そこに機密があり、奪い合う動機になればよく、
機密の内容は作中では何であっても構わない。
「霧島、部活やめるってよ」の霧島はどんなやつでもよく、
やめることで皆がざわつく、そのざわつきがメインなので、
霧島はマクガフィンだ)


「何でもよい」ということは、
ビジュアルを何にしてもよい、ということだから、
これを意味ありげなハッタリに使うことができる。

エヴァにおける、ロンギヌスの槍や世界樹や使徒といったキリスト教モチーフは、
そうでなかったとしても物語はすすむので、
これはマクガフィンのビジュアルをキリスト教モチーフにすることで、
ハッタリを効かせた例である。

キリスト教モチーフのものは、全て意味ありげに見える。
それらが何かを象徴や暗示をし、
全体で何かの壮大なテーマを描くのではないか、
というワクワク感を醸し出す。
しかし、これらは何も考えていない、マクガフィンのハッタリである。

キリストを貫いた聖槍であることや、
世界が樹に象徴される構造をもっていることや、
神の使者であることは、
エヴァにおけるドラマツルギーと何の関係もない。

それが武器になること、爆発のエフェクトのかわり、
人々がじたばたするための敵襲という理由になりさえすれば、
ビジュアルは何でもよいのだ。(マクガフィン)

つまり、キリスト教モチーフはハッタリだ。
こちらが勝手に解釈を膨らませるように意図的に組み込まれた、
実のない虚である。


これの得意な作家が、僕がいつも中身がないと批判する園子温の作品だ。
愛のむきだしでは聖書の一部、
冷たい熱帯魚ではマリア像、
恋の罪では文学的詩、
どれもマクガフィンのハッタリだった。
それに何かの暗示や象徴があるのではないか、
それが分からないのは我々の読解力や知識が足りないだけで、
監督が込めた深い意味があるのではないか、
と思わせる、虚である。

マクガフィンはハッタリに使える。
困ったら、意味ありげな小道具や舞台装置をつくり、
それを別の機能で人物の動機にしたりすればよい。

が、この作り方は三流だ。



一流は、意味ありげなものを持ってこない。
「誰もが象徴として理解しているもの」を間接表現に使う。
意味「ありげ」ではなく、明快な意味を持ってくる。

意味ありげなマクガフィンのハッタリが出てきたら、
その作品を作った者を三流だと思おう。
実のない虚で人を騙している作家だと思おう。
そして、あなたはそのような三流で満足してはいけない。
あなたは虚ではなく、実を描くべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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