2014年06月29日

ストーリーとは何か2: 話のスケール

ストーリーとは、理屈のある変化である。
「水が沸騰し、蒸気になった」もストーリーだ。
ここで、「なる」という人にも使える動詞を使っていることに注意。
ストーリーの中では、変化するものは、
擬人化された、人なのだ。
逆にいうと、(擬人化を含む)人でしか、人はストーリーを理解出来ない。
(艦これなどの擬人化が何故起こるかの理由がこれだ。
本来ストーリーのないものから、人はストーリーを見いだしたがる。
点の集合から心霊写真が見えてしまう、シミュラクラ現象のように)

さて、その変化の大きさを、話のスケールという。


コンビニのお釣りを、カワイイ店員が手を握って渡してくれた、とか、
前髪を切ったけど気に入らないから今日は学校へ行かない、
は、スケールの小さなストーリーだ。
手のひら規模、デコ規模のストーリーである。

ニューヨーク消滅を防ぐ話や、
銀河連邦同士の戦争などは、スケールの大きな話だ。

水が沸騰した話も、ビーカー規模なら小さな話だが、
隕石の衝突による海の蒸発、は大きな話だ(火星はそのようにして海を失った仮説がある)。

スケールの大小は、
物語の二次元的大きさに過ぎない。
一度に見える風景の大きさ、といってもよい。
大きいほうがいいとか、小さいとダメだ、ということではない。
いい悪いは、変化率の大きさで語るべきだ。
たとえニューヨークが消滅したとしても、
関わる人間がまるで変化しないのなら、たいして面白い話にならない。
浅い話だ。
前髪を切ったことが、人間関係の深いものをえぐりだし、
人間の深く大きな変化を描くのなら、それは大きな話になる。
深い話だ。

話の面白さは、深さ、つまり我々が体感する変化の大きさに比例する気がする。

体感する、ということが重要で、
例えば女性は、我々男子に比べ、
人間関係の変化に敏感である。経験的に10倍といっていい。
だから、人間関係の変化に話の深さを感じる。
銀河連邦の政治体制の変化よりもだ。

犬を飼ったことのない人は、犬がもたらす生活の変化に、
飼ったことのある人より変化を感じないだろう。
つまり、我々受け手の感度によって、
話のスケールも変わってくることに注意されたい。
つまり、話のスケールは絶対的ではない。

スケールの小さすぎる話は面白くない。
スケールが大きすぎても、全体が見えず面白くない。
理解できる、ちょうどいいスケールが望ましい。

コンビニのお釣りは、人間関係を大きく変化させる、
ちょうどいい大河ラブストーリーにすべきだ。
銀河連邦の政治体制は、ある人とある人の対立の話に、
スケールを調整して描かれる。

つまり、我々が体感するのにちょうどいいスケールに調整するのである。
二時間(他の尺ならその尺)なりの、話のスケールというものがある。
それは、空間のスケールと、変化の深さのかけ算かも知れない。


観客の感度を知るには、あなたがもっとも平均的な観客になるか、
多くの人の生の反応を見るしかない。
そうやってストーリーテラーは、変化の大きさについての、
車幅感覚を身につけていく。

自分の話は、どれくらいのスケールの話をしようとしているか。
初心者は、大きすぎたり小さすぎたりする。
扱う大きさ(空間と深さ)がちょうどいいとき、
ようやくそれは面白い話になる。
posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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