ストーリーとは、理屈のある変化である。
「水が沸騰し、蒸気になった」もストーリーだ。
ここで、「なる」という人にも使える動詞を使っていることに注意。
ストーリーの中では、変化するものは、
擬人化された、人なのだ。
逆にいうと、(擬人化を含む)人でしか、人はストーリーを理解出来ない。
(艦これなどの擬人化が何故起こるかの理由がこれだ。
本来ストーリーのないものから、人はストーリーを見いだしたがる。
点の集合から心霊写真が見えてしまう、シミュラクラ現象のように)
さて、その変化の大きさを、話のスケールという。
コンビニのお釣りを、カワイイ店員が手を握って渡してくれた、とか、
前髪を切ったけど気に入らないから今日は学校へ行かない、
は、スケールの小さなストーリーだ。
手のひら規模、デコ規模のストーリーである。
ニューヨーク消滅を防ぐ話や、
銀河連邦同士の戦争などは、スケールの大きな話だ。
水が沸騰した話も、ビーカー規模なら小さな話だが、
隕石の衝突による海の蒸発、は大きな話だ(火星はそのようにして海を失った仮説がある)。
スケールの大小は、
物語の二次元的大きさに過ぎない。
一度に見える風景の大きさ、といってもよい。
大きいほうがいいとか、小さいとダメだ、ということではない。
いい悪いは、変化率の大きさで語るべきだ。
たとえニューヨークが消滅したとしても、
関わる人間がまるで変化しないのなら、たいして面白い話にならない。
浅い話だ。
前髪を切ったことが、人間関係の深いものをえぐりだし、
人間の深く大きな変化を描くのなら、それは大きな話になる。
深い話だ。
話の面白さは、深さ、つまり我々が体感する変化の大きさに比例する気がする。
体感する、ということが重要で、
例えば女性は、我々男子に比べ、
人間関係の変化に敏感である。経験的に10倍といっていい。
だから、人間関係の変化に話の深さを感じる。
銀河連邦の政治体制の変化よりもだ。
犬を飼ったことのない人は、犬がもたらす生活の変化に、
飼ったことのある人より変化を感じないだろう。
つまり、我々受け手の感度によって、
話のスケールも変わってくることに注意されたい。
つまり、話のスケールは絶対的ではない。
スケールの小さすぎる話は面白くない。
スケールが大きすぎても、全体が見えず面白くない。
理解できる、ちょうどいいスケールが望ましい。
コンビニのお釣りは、人間関係を大きく変化させる、
ちょうどいい大河ラブストーリーにすべきだ。
銀河連邦の政治体制は、ある人とある人の対立の話に、
スケールを調整して描かれる。
つまり、我々が体感するのにちょうどいいスケールに調整するのである。
二時間(他の尺ならその尺)なりの、話のスケールというものがある。
それは、空間のスケールと、変化の深さのかけ算かも知れない。
観客の感度を知るには、あなたがもっとも平均的な観客になるか、
多くの人の生の反応を見るしかない。
そうやってストーリーテラーは、変化の大きさについての、
車幅感覚を身につけていく。
自分の話は、どれくらいのスケールの話をしようとしているか。
初心者は、大きすぎたり小さすぎたりする。
扱う大きさ(空間と深さ)がちょうどいいとき、
ようやくそれは面白い話になる。
2014年06月29日
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