キャラ設定は、単独で書くことができる。
背景となる世界設定も、単独で書くことができる。
が、ストーリーだけは、単独で書くことが出来ない。
一番単純な形のログラインや、あらすじや、プロットですら、
世界と人物から離れることはできない。
化学物質から何かを抽出するように、
ストーリーだけを純粋な物質として抽出して見せることは出来ない。
なぜなら、ストーリーとは、
世界や人物の変化と、その理由のことだからだ。
場所が変わる。移動する。
何かの理由で。それがストーリーだ。
人間関係が変わる。
何かの理由で。それがストーリーだ。
人間の内面も変わる。
何かの理由で。それがストーリーだ。
何かの理由で、主人公の身の回りを取り巻くものが変化しようとしていて、
その兆候である事件が起きて、
その解決過程には、
様々な初期設定が最初と違う状態になる(する)ことが必要だ。
その移り変わりを記述すると、ストーリーになる。
その理由、理屈を併記すると、ストーリーになる。
何故○○するのか、その結果△△になり、
つぎに××の理由で□□し…という一連が、
ストーリーのことだ。
人物設定や世界設定とは、
ストーリーが始まる前の初期設定にすぎない。
それがどう変わって行くか、
その流れそのものがストーリーだ。
初期設定は、川の流れの最初の先端に過ぎない。
それが終着するまでの、途中の流れのさま、川そのものがストーリーなのだ。
だから、ストーリーを止めて眺めることはできない。
ストーリーとは流れだからだ。
これを記述するのに、最初と次とその次と…の状態を書き、
それが前とどう変わったか、どう動いたかを書き、
どうしてそうなったのかを書けばよい。
状態とは人物と世界の現在形のことだ。
だから、ストーリーは人物と世界から独立して存在していない。
ある話のストーリーやあらすじを書くとき、
人によってその書き方は様々で、
一定の書き方がない。
(だからプロットやあらすじを書くとき、
初心者は何が正解かわからなくなる)
同じ話のプロットを書くときすら、
人によって文章が違うはずだ。
つまり、ストーリーとは、一意の表現方法がない。
このことを知っておくと、
ストーリーを捕まえるときに、ちょっと安心できる。
ある程度理屈さえあっていれば、
プロットやあらすじの書き方に正解はない、
ということなのだから。
(勿論、そもそも間違っていたり、
非常に重要な部分を書いていなかったりするのは、
間違ったプロットであるが)
僕は、感動ものなら感動できるように、
コメディなら爆笑できるだけように、
つまりその簡易的読後感を残せるように、
プロットやあらすじは書くべきだと思うが。
2014年06月29日
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