三幕構成というのは、おはなしの基本だ。
どれくらい基本かというと、
三幕構成とは、「おはなしには、『はじまり』『途中』『おわり』がなければならない」
というぐらい基本だ。
さて、長編脚本を考える。
長編は、5分や10分の短編の繰り返しと思うと良い。
ただ、「終わり」ではなく、「終わらない」になるだけの。
つまり、はじまり→途中→終わらない→はじまり→途中→終わらない…
という繰り返しが、長編脚本だ。
1サイクルは、短編だ。
何かがあって、解決仕切らないうちに、つぎのはじまりが起こるだけだ。
(そして最後の最後に、すべての、唯一の「終わり」がくる)
目の前で起こっていることは、短編規模のサイクルなのだ。
ただ終わらないだけなのだ。
これを巨視的に見ると、大きな話の一部になっているのが、
長編脚本の構造である。
その大きな話の「はじまり」が30分、「途中」が60分、「終わり」が30分、
というのが「全体の」三幕構成だ。
三幕構成からプロットを考えても、
小さなサイクルからプロットを考えても、
どちらでもよい。
「書ける」ようになるには、マクロとミクロ、それぞれが出来ていることが条件だ。
小さなサイクルを考えよう。
何かがはじまる。
展開する。
それが決着が半ばつく。
しかしそれが別のはじまりになる。
または、別のはじまりが割り込んでくる。
その繰り返しだ。
ワンサイクルは数分から10分程度だ。
いくつかのはじまりが同時進行、というパターンもある。
ある決着をして、あることは終わりを迎えるが、
あることは半ば決着ということもある。
これは大きな事件の序章に過ぎなかった、
は、最もあり得るパターンだ。
「終わらない」の工夫がキモである。
いかに興味を持続させたまま、
なおかつ一端終わり風にしてすっきりさせ、
あるいはまだ終わりきっていないようにして、
伏線をのこし、
次のワンサイクルへの興味へ観客をうつしていく。
これは、ターニングポイントと同一である。
ターニングポイントは、
三幕構成の一幕と二幕のラストにある、
第一ターニングポイント、第二ターニングポイントが有名だが、
同じ機能が、ワンサイクルの終わり、「終わらない」にあると思うとよい。
今のストーリーの焦点が、
「はじまり」でつくられ、
「途中」で展開し、
「終わらない」で決着したり、未解決のまま、
次の焦点へドラマチックにうつる。
ワンサイクルは1分の場合もあるし、
5分もあるし、10分もあるだろう。
焦点とその解決の規模によるだろう。
僕が短編を数多く書け、
とことあるごとに言うのは、実はこのためなのだ。
要するにワンサイクルとは、
ひとつの焦点の短編なのだ。
(実際には同時進行する焦点が複数あったりもするけど)
それが完全決着せず、「終わらない」ターニングポイントで、
次の短編へ繋がるだけなのである。
ただし、同じ主人公、同じ世界、同じ登場人物で、
短編が終わりきらず次の短編は前のと地続きであるだけの話だ。
(勿論、新しい場所が増えたり、新キャラが出てきたりする。
下手なシナリオで、場所の移動や新キャラの出落ちが多いのは、
それが展開っぽく見えるからであり、それ以外にターニングポイントを書けないからだ)
このサイクルを繰り返しながら、
真の「終わり」へと向かっていくのが、
長編シナリオだ。
オチがいかに大事かわかるだろう。
このサイクルは大体何回あるだろう。
統計をとったわけではないが、
手元の30分ものの3話では、たまたま全て6だった。
平均5分ぐらいで、ワンサイクルというイメージを持つといいかも知れない。
(シド・フィールドは30分を14枚のカードで表現する、
という。平均2分強を1枚のカードで表現する計算だ。
勿論このワンサイクルの話はなかったが)
三幕構成とは、簡単な理論である。
小サイクルで進むこの現在形に、
マクロ構造を持たせようということだ。
最初の平均6サイクルを第一幕として、全体の「はじまり」とし、
次の平均12サイクルを第二幕として、全体の「途中」として、
最後の平均6サイクルを第三幕として、全体の「終わり」(クライマックス)とする、
ということにすぎないのだ。
サイクルの数は、今統計をきちんと取っていないから信用しないほうがいい。
6は4でも10にもなるだろう。1や100になることはないだろうが。
サイクルの最後「終わらない」ポイント、
すなわちターニングポイントが平均24ほどあるなかで、
第一幕のラストを、第一ターニングポイントといい、
全体の「途中」へのはじまりになる。
第二幕のラストを、第二ターニングポイントといい、
全体の「終わり(クライマックス)」へのはじまりになる。
そのようになるように、
次への小サイクルへのターニングポイントになりつつ、
三幕構成上のターニングポイントにするべき、
という考え方である。
このふたつの大ターニングポイントで、
センタークエスチョンが、具体的な課題になる、
ということはすでに議論した。
つまり、2時間の長編シナリオは、
平均24本の短編に分解でき、その直列繋ぎで表現できる。
(数字はばらつきがありえる)
単なる直列繋ぎではなく、それぞれが大きな構造の一部をなしているだけだ。
つまり、5分の短編を24本程度書く体力が、長編には必要だ。
勿論、それぞれは独立せず関連しあっているから、
それよりも多い体力がいる。
それぞれは共通の世界と人物だから、24本の別々の話を書くよりは、
楽だろう。
プラマイ0と単純に見て、
約24本の5分短編を書く体力が、長編には必要だ。
とりあえずこの理論を6サイクル理論(仮)と命名しておく。
発展するかも知れない。
2014年07月01日
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