2014年07月15日

物語とは、状況の変化である2

図式的に考えてみよう。

A4の紙いっぱいにでも、横使いで次の図を描いてみよう。
○ → ○
□   □
(ずれていたらすいません。
丸の下に四角があるものがふたつ、それらが矢印でつながれていればOK)


左の丸の中には、ある状況を書く。簡単な文章でいい。
それが変化して、次の状況になったものを右の丸の中に書く。

どういう状態から、どういう状態へ変化したか、
それが物語であるから、それを図式化して見せるのだ。

間の矢印は、変化の過程である。
一瞬なら一瞬、2時間なら2時間ぶんの分量がそこにある。
それがどうして変化したのか、が物語である。

自然に、なのか、偶然、なのか、人為的、なのか、
ある人間の意志のある行動の結果、なのかだ。


基本的には、これを面白くすることが、物語を書くことだ。
-100から+100までかけあがれば、ハッピーエンドのもっとも強力なもので、
+100から-100までどん底に落ちれば、もっとも強力な悲劇である。
なぜそうなるか、という理屈にリアリティーが必要だ。


さて、下の四角には何を書くのだろう。
文字ではない。絵を描いてみよう。
丸の中の状況が、どんな絵で映画に表現されるか、である。
上手な絵でなくていい。どういうかんじの絵か、でいい。

これがありきたりな絵なら、映画としてはありきたりなものになる。
これが、今まで見たことのないシャシンになるのなら、
斬新な映画になる。


ずっと書いているが、
上段が中身で、下段の絵がガワである。
人はガワしか記憶できないから、その四角の中の絵が、映画の記憶になる。

中身のストーリーはもちろんあなたが書き、
実際の絵を撮るのは監督だ。
しかし、それがどのような意味のシャシンになるかは、
脚本に書いていなければ撮ることも出来ない。


「つらい状況がアメリカンドリームになる」という「ロッキー」なら、
左側にどういう絵が入るか、右側にどういう絵が入るか考えるといい。

地下ボクシングのロッキーやペットショップの二人が左側に、
右側には試合後エイドリアンの名を呼ぶ、ロッキーのぼこぼこの顔があるはずだ。
左側は記憶に残るイコンにはならなかった。
しかし、右側はこの映画のイコンになった。

どちらもそうなるのが理想だ。
しかし、右側、つまりクライマックス後がイコンになるべきである。

両方とも記憶に残らない、平凡な絵は、
小説としては面白くても、映画としては平凡な確率が高い。
posted by おおおかとしひこ at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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