2014年07月22日

話が迷子になる

書けなくなったら、こう思うとよい。
「話が迷子になったのだ」と。


迷子になったということは、
「目的地にいくための道が分からなくなった」ということだ。

原因はふたつある。
・目的地がわからない。
・道筋がわからない。

最初の場合は、「目的地をはっきりさせる」ことを考えると良い。
どこかにふわふわ漂う目的のないおしゃべりでは、
どこへ行くかなんて風まかせだ。
その風が止んでしまえば、停滞が訪れるのは当然である。
(そして大抵新しい風を持っている新キャラに頼る)

そうではなく、「そもそもこの話はどこへ向かっているのか」を
はっきりと決めておくべきである。
目的地とは、クライマックスのことだ。
何が目的か、ゴールは何かを、最初にはっきりと決めるべきだ。

問題は、書いているうちにその目的地が正しいのか、
つまり、そもそも面白いものだったのかが分からなくなってしまうことだ。
それは重症だ。
目的地をあらためて再設定しなければならない。

それは当てのない旅である。
出発してしまった旅を途中で変更して、結果オーライを達成せねばならない。
その成功率は、現実においてもきわめて少ないであろう。
目的地を変更してはならない。
目的地(クライマックス、ゴール、センタークエスチョン=旅の目的)を決めてから、
出発するべきである。


「家から駅へ行くまで」と同じである。
途中、迷ってしまった。
そもそも駅へ行くのが面白かったんだっけ?
と言っているのと同じなのだ。

じゃコンビニにしよう、という目的地の変更は、
それまでの経過を無駄にしてしまう。
最初からコンビニへのルートを取れよ、となってしまう。
どうやったって「駅へ行こうとしたが、途中でコンビニに行った話」に、
それはなる。

よほど面白い話になるなら別だが、
それなら「駅へ行く話」か「コンビニへ行く話」を書くべきだ。

駅へもコンビニへも行きたくないのなら、家から出る必要はなかったのだ。


逆に、「目的地を決めずぶらぶらする」タイプの映画の代表が、
「勝手にしやがれ」だ。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」もだ。
ついでに「マルホランドドライブ」もだ。
僕には、これが面白いとは思えない。
日常の散歩ならあるだろう。
しかし散歩である以上、「面白いことは今日はなかった」になる覚悟も必要だ。
よほどの強運がない限り、毎回面白いことを引くことは出来ない。
小さなことに面白味を見いだすのは散歩の極意だが、
そんな映画はそのような小さな面白味の映画である、というだけである。
(たとえば、最近の駄目なバラエティーでは、
タレントをぶらぶらさせて、途中で何か面白いことをしろ、という無茶ぶりをする。
芸人たちは自分たちの芸をそこで消耗して笑いを取る。
それは計算されていない面白さではなく、借りてきた面白さに過ぎない)



目的地がわかっているのに、道筋がわからないのは、
症状は軽いほうだ。

地図をかけばよいからだ。

駅へ行きたいのなら、家との位置関係と道筋を、
はっきりと図にするとよいだろう。
目印や曲がる所も確認するといい(ターニングポイントや重要な場面)。
ルートが曖昧になっているか、
道が面白くないのなら、
新たな面白いルートを開発すれば良い。
途中コンビニに寄り道したり、屋根の上を歩いたっていいのだ。


話が迷子になるのは、
後者よりも前者のことが多いのではないかと思う。

そもそもこの話面白いんだっけ?と、我に返ってしまうのだと思う。
こうなってしまうと、なかなか元の情熱を取り戻すのは難しい。
それは、最初のアイデアだけでは、ここまでしか持たなかったのだと考える。
ここからのルートは、さらに別のアイデアが必要なのだと考える。

駅へ向かって出発したが、
コンビニや屋根の上という新しいアイデアをそこに足していく、ということになる。

「昼下りの情事」で分析したように、かの映画では、ベースにふたつ、
更に足されたふたつ、ほぼ4つの大きなアイデアがあった。
あなたはきっと、まだひとつ程度のアイデアしか出していないのだ。

あなたの情熱の軸足を駅へ置きながらも、
コンビニや屋根の上という新しいアイデアを、その情熱に足してゆくのである。
それは単品では面白くなくても、「駅への過程」という文脈で面白いのなら、
アイデアなのである。

僕は、ひとつのアイデアで書けるのは、なんとなく30分だと思っている。
だから、映画にはみっつ、ないしよっつの大きなアイデアが必要だと
なんとなく思っている。


「大きなアイデア」がどの程度か、慣れないと分からないものだ。
「30分ぐらい書ける分量」と逆に定義するのはあるかも知れない。

さらに大きなアイデアはある。
すべてのアイデアがその支配下に置かれるタイプのものだ。
それを、テーマというのかも知れない。




さて、「家から駅への移動」にたとえて説明した。
これをそのまま移動で示すのが、ロードムービーというジャンルだ。
だからロードムービーは、なんだかものごとが進んでいるような錯覚を書き手に与える。
移動が一切なかったとしても、「話が進展している」のが、
優れた書き手によるストーリーである。
進展とは、何度も書いているように、「状況が変わったこと」である。

目的に対して、今どのような状況か、を確認することが、
迷子にならないコツだ。
posted by おおおかとしひこ at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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