2014年07月23日

企画書は、わくわくするように書こう

脚本から離れて、企画書を書くこともプロにはよくある。

僕は脚本の内容を、正しい実像で書くことが企画書だと思っていた。
だが、「企画書は脚本の予告編である」と考えたほうが、
いい企画書が書けると思った。(嘘はつかないでね)
「では本編を見せてください」という気持ちにさせることが、
企画書の役割だからだ。

正しい全体像をとらえること。
その一部を隠すことで、全体を想像させるような表現をとること。
(それがわくわくということだ)

その二つの作業が企画書には必要だ。


どれだけ客観的になれているかが鍵である。

どんな起承転結か、どんなジャンルか、
どんなテーマを描いたか、
似たものは何か、違うところはどこか、
歴史的系譜のどのあたりに位置するのか、
今ある流行や名作の群れの、
どのあたりに切り込むのか。

それはどんな流行を生み、どんな社会的影響を及ぼし、
最大でどんなブームやムーブメントをつくるのか。

そしてそれは、どれくらい儲かるのか。


企画書とは、「この船に乗らないか」という旗印のような気がする。
みんな自分の生活が大事だ。
それをより良くする作品との出会いの場にするべきだ。
たとえリスクを負っても、作品の制作に加わりたいと思わせるものであるべきだ。
(昨今の企画書は、リスクを0にすることばかり考えている)
映画をつくることは、賭場を開くことである。
儲けることが第一使命である。
作品の価値を皆で共有し、広めることが第二の使命である。
(損してでもこれは世の中に出すべきだと、
スタッフ全員が思っているプロジェクトだってある)


それには、客観的になれているかが鍵である。

あなたではなく別の人が書いたもの、ぐらいの勢いで、
「この世界を皆で実現しよう、何故なら…」と言えなくてはならない。


執筆の初期や中期は、それを考える必要はない。
(どうせ自信がないのと初期衝動の間を往復してるし)

一通り全体像が見えて、あとは微調整だ、
というところまで来れば、
この作品の意味、意義、価値、力、面白さとは何だろう、
と客観的に考え、それを表現することはとてもいいことだ。

売りや仕掛けを考えるのは、
企画書で集まってきたプロフェッショナルと相談すればよい。
作者であるあなたは、
その作品が世の中に伝える熱の一部を、ペラ1、2枚で表現できればよい。

ログライン、ターゲットや予算や規模、
企画意図、あらすじ、
捕捉資料(ビジュアルイメージ、音楽など、脚本だけじゃわかりにくい資料)
などが企画書の内容だ。



もし完成した作品があるなら、
その企画書を書いてみるのはどうだろう。
どうせプロになったら毎回書く。
客観的になる練習としていいかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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