脚本から離れて、企画書を書くこともプロにはよくある。
僕は脚本の内容を、正しい実像で書くことが企画書だと思っていた。
だが、「企画書は脚本の予告編である」と考えたほうが、
いい企画書が書けると思った。(嘘はつかないでね)
「では本編を見せてください」という気持ちにさせることが、
企画書の役割だからだ。
正しい全体像をとらえること。
その一部を隠すことで、全体を想像させるような表現をとること。
(それがわくわくということだ)
その二つの作業が企画書には必要だ。
どれだけ客観的になれているかが鍵である。
どんな起承転結か、どんなジャンルか、
どんなテーマを描いたか、
似たものは何か、違うところはどこか、
歴史的系譜のどのあたりに位置するのか、
今ある流行や名作の群れの、
どのあたりに切り込むのか。
それはどんな流行を生み、どんな社会的影響を及ぼし、
最大でどんなブームやムーブメントをつくるのか。
そしてそれは、どれくらい儲かるのか。
企画書とは、「この船に乗らないか」という旗印のような気がする。
みんな自分の生活が大事だ。
それをより良くする作品との出会いの場にするべきだ。
たとえリスクを負っても、作品の制作に加わりたいと思わせるものであるべきだ。
(昨今の企画書は、リスクを0にすることばかり考えている)
映画をつくることは、賭場を開くことである。
儲けることが第一使命である。
作品の価値を皆で共有し、広めることが第二の使命である。
(損してでもこれは世の中に出すべきだと、
スタッフ全員が思っているプロジェクトだってある)
それには、客観的になれているかが鍵である。
あなたではなく別の人が書いたもの、ぐらいの勢いで、
「この世界を皆で実現しよう、何故なら…」と言えなくてはならない。
執筆の初期や中期は、それを考える必要はない。
(どうせ自信がないのと初期衝動の間を往復してるし)
一通り全体像が見えて、あとは微調整だ、
というところまで来れば、
この作品の意味、意義、価値、力、面白さとは何だろう、
と客観的に考え、それを表現することはとてもいいことだ。
売りや仕掛けを考えるのは、
企画書で集まってきたプロフェッショナルと相談すればよい。
作者であるあなたは、
その作品が世の中に伝える熱の一部を、ペラ1、2枚で表現できればよい。
ログライン、ターゲットや予算や規模、
企画意図、あらすじ、
捕捉資料(ビジュアルイメージ、音楽など、脚本だけじゃわかりにくい資料)
などが企画書の内容だ。
もし完成した作品があるなら、
その企画書を書いてみるのはどうだろう。
どうせプロになったら毎回書く。
客観的になる練習としていいかも知れない。
2014年07月23日
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