2014年07月27日

ツイスト

ストーリーラインには、
ある種の「こう進み、こう帰結するだろう」がある。
それを全然違うストーリーラインへ変えてしまうこと。
大抵、強烈なターニングポイントになる。

ターニングポイントには、多かれ少なかれその要素があるものだが、
その特に強烈なものをいうと思ってもよい。


前半と後半が別物になってしまうものもある。
(フロム・ダスク・ティル・ドーンとか。
しかしこれはツイストが効果的に効いているとは言いがたい)

最近のツイストで印象的だったのは、
漫画「みんな〜エスパーだよ!」の中の、
ヒロイン惨殺だった。
それまで、ヒロインの心のなかが見えてしまう、
超能力コメディというストーリーラインを見せておいての
(透明人間のちょっとエッチなコメディと似たジャンル)、
彼女の復讐劇への、強烈なツイストだ。
(ただ、作者がこのツイストに耐えきれず、
うまくそのあとが展開出来ていない。
構想のための休載が、それを伺わせる)

ツイストは、平坦で平凡なストーリーラインにひねりを加え、
見たこともないようなストーリー構造をつくるのに最適だ。
しかし、場当たりでやる、
つまり今のままでは何となく最後まで見えてしまって
詰まらないなあ、という無意識で起こすと、
大抵余計に詰まらなくなってしまう。

おそらく「タッチ」の和也の死というツイストは、
半分場当たり半分計算だ。
タイトルがバトンタッチを意味することは、
タッチファンなら知っていることだ。
どこかで、何かをバトンタッチするドラマを、あだちは描こうと思っていた筈だ。
それが和也から達也へのタッチかどうか、
双子の確執かどうか、
南をもらうことも含め、
全てを計算して準備した訳ではないだろうことは、推測がつく。
逆に、このツイストを起こして、
はじめて作品のテーマがあだちに見えたのかも知れない。

何度も書いているが、漫画は現在進行形で書いているが、
映画脚本は完結させてから書くものだ。
すべては計算されて準備され、すべての無駄や無理は排除されなければならない。
ストーリーの純度としては、映画は漫画の何倍もの練りが必要だ。

もし映画でタッチのシナリオをやるなら、
ツイストを効かせるために、和也の死以前は大巾に書き直すべきである。
和也の死は、第一ターニングポイントに置かなければならない。
つまり、達也は和也をバトンタッチできるのか?
がセンタークエスチョンにならなければならず、
それが大きなツイストポイントになるために、
全く別のことに観客を夢中にさせるべきだ。

南の取り合い、というぬるいものではなく、
双子のコンプレックスや、将来どうなるのかという不安や、
俺とお前は別々の人間だという兄弟の離れていく感じを描いておくべきだ。
明日俺は南に告白するなんて死亡フラグを立てるべきではない。
あるいは、和也はそれを達也には言わず、
達也はそれを知ってしまう劇的アイロニーを仕掛けるべきだ。
達也が南を愛していることを誰にも言っていないことも必要だ。
全部が中途半端なまま、ツイストは訪れるべきである。

犬童版の実写映画でそこまで描けていた記憶はない。
南が球場へ走るときにメインテーマがかかった記憶しかない。
そこはメインテーマをかけるべき場面ではなかった。
バトンタッチの瞬間、つまり告白に向けるドラマにこそ、
メインテーマはかけるべきだ。
(玉を投げる達也に和也が重なる、というキメになっているカットは、
バトンタッチというテーマを現しきれていない。
南まわりでのバトンタッチが、理想の、テーマを現す絵になるはずだ)


ツイストは劇薬である。
突然であればあるほど効果的で、
ミスリードを仕込めば仕込むほど効果的で、
驚かせれば驚かせるほど効果的だ。
ツイスト以前と以後で大きく物語の雰囲気が変わってしまう。
失敗すれば期待外れの烙印だ。
最初の感じのままがよかった、と言われがちである。


「いけちゃんとぼく」では、
オバQのいる、子供たちの成長ドラマと思わせておいて、
突然ラブストーリーへツイストする。
このツイストに、うまくついてこれないなら意味がないし、
予想されても意味がない。
まあまあ上手くいったほうだとは思うけど。

風魔の聖剣もそうだ。
忍者ものが、突然伝説ファンタジーものにツイストする。
我らが車田正美先生は、ツイストの達人の一人だ。
家を増築改築していくように、
次々とストーリーのフェイズを変えていく。
(ドラマ版では、突然過ぎないように、風林火山の仕込みを事前からしている。
伏線と解消になるように、偶然小次郎の手に取られるように、
計算してある。つまりドラマ版では聖剣の登場は、
ツイストというよりはただのターニングポイントだ)

漫画であれば、ツイストの反響は、
読者の反応を見ながらやることが出来るが、
脚本はそうはいかない。
余程計算してやることだ。


ツイストとどんでん返しは、似て非なるものだ。
どんでん返しに必要な、
実は○○だったのだ、はツイストには必要ない。
ツイストは単なるターニングポイントだ。
ただ、以前と以後の物語の型を変えるほどのもののことだ。

上手く騙そう。
手品のように、仕込んでいるところと別の所に注目させておいて、
予想外のタイミングでひっくり返そう。仕込みが大事だ。

こうする、というツイストを計算しておいて、
全く遠いところへなるべくストーリーを誘導していくことだ。
その落差が、どんでん返し、ツイストの面白さである。


たとえば「ソウ」のラストのどんでん返しは素晴らしい。
あれぐらい、最初から計算されていると、
気持ちいい。
あれぐらいの驚きと納得という仕掛けが、ツイストには必要だ。
posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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