2014年07月27日

危険から逃げるな

会いたくない人に会うこと。
自分の真の内面を晒すこと。
出来れば直接話したくないこと。
出来れば誰か他の人が解決したり泥をかぶってほしいこと。

我々が現実の人生でなるべく避けている危険。
それが、物語の中では重要な場面としてやってくる。
直接対決という場面でである。


現実の世界ではプレッシャーが大きいから、我々はつい避けている。
それは自分のことだからだ。
しかし、「他人の不幸は蜜の味」だから、
他人のそれは、とても見たい。
安全圏からであれば、しゃぶり尽くすように見てみたいのだ。
物語はその我々の無意識に答える。
登場人物の危険によってである。

危険といってもこの場合、
崖から落ちそうになるとか、爆弾テロとかの危険ではない。
人間関係の危険である。


我々は他人の告白の瞬間が大好きだ。
それはその人が普段見せない、真の姿(美しくても、醜くても)を
見せるからだ。
愛の告白、過去の告白、過ちの告白、秘密の告白、
どのような告白であれ、真の姿を見せる危険が本人にはある。
出来ればそれを避けたい、しかし、それをしなければならない必要に迫られるのが、
ドラマというものである。


夜遊びして帰ってきた高校生は、
なるべく母親に見つからず二階の部屋に上がりたい。
現実なら、どうにかして見つからずに逃げ込む。
見つかっても「うっせーババア!」となるべく話し合いを避けて、
階段をダッシュであがる。

しかしドラマでは、(それが状況のセットアップでない限り)
必ず息子は母に見つかり、直接対決をするのである。
本音でぶつかり合う危険を描き、
二人の関係はその事によって何らかの変化をするのである。
なぜなら、それがドラマであり、それが展開だからだ。

展開とは変化である。
自然になんとなく移行するのを変化とは言わない。
危険に晒され、そこで何とかし、何とかし終わって、
最初の状態とは違う状態になることがドラマでの変化である。

「うっせーババア」で会話を拒否するのは、ドラマではない。
母と息子が直接対決をし、当初の人間関係とは違う状態になることがドラマだ。
息子が母を殴り、取り返しがつかなくなってもいい。
彼女に会っていることが分かり、じゃその彼女を連れてきなさいになってもいい。
不良とつきあっているとばれて、警察沙汰になってもいい。
不良とつきあっていると勘違いされて(本当は善行を積んでいるにも関わらず)、
母がなんらかの行動を明日とってもいい。
直接対決は、このように次の変化を生む。
それからどうなるかがドラマであり、
それが最終的にどうなるかがドラマである。

危険から逃げるな。
危険と直接対決せよ。

あなたは現実では、普段から危険を避けている。
しかし物語の中では、危険を避けていては、
うっせーババアから一歩も話が進まないのだ。
直接対決せざるを得ない場面を無理矢理(出来ればごく自然に)つくり、
そこでどうにかするという枷を自分にはめてみよう。

危険に挑む。それが冒険だ。
なにもナイルワニを倒したり、嵐の船に乗ることだけが冒険ではない。
危険に挑むことが冒険だ。

そして、演劇や映画は、
コンフリクトを人と人で表現するメディアだ。
(小説では、もう少し多様なコンフリクトを描ける)

直接対決が、一番の道具なのだ。


演技合戦、などと言われるタイプの映画や演劇がある。
コンフリクト、直接対決をきちんとシナリオで描いていれば、
それは元々演技合戦になるはずである。
演技合戦と言われるタイプの芝居は、
そのコンフリクトが特に濃い場合を言うにすぎない。
(あるいはコンフリクト以外のものがショボいから目立つだけ)


直接対決を書こう。
出来れば会いたくない人と、直接対決する場面をつくろう。
自分の真の内面を晒すような、直接対決する場面をつくろう。
出来れば直接話したくないことを、メールや人づてでなく、
直接言う場面をつくろう。
出来れば誰か他の人が解決したり泥をかぶってほしいことを、
直接対決でやらざるを得ない場面をつくろう。

少年漫画出身の僕は、直接対決というとついついバトルを想像してしまう。
漫画やラノベではそうなるかもしれないが、
現実のリアリティーでは、おそらくただ話をするだけだ。
その胃が痛くなるリアリティーこそが、
蜜の味なのである。




「逃げちゃダメだ」とシンジはエヴァンゲリオンで、
逃げずに立ち向かった。
逃げてしまう、がセットアップで、
はじめて立ち向かった、が最初の物語のステップ(カタリスト)だ。
逃げなかった結果何が起こり、それがどう展開していくか、
逃げなかった結果どう帰結したかが物語だ。
残念ながらエヴァンゲリオンは、その帰結を描いていない未完成作品である。

帰結を描くには、人生経験がいる。
逃げてばかりで直接対決をしていない者は、直接対決が描けない。
posted by おおおかとしひこ at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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