2014年07月28日

時を越える

タイムスリップとかではなく。

ある映画が時を越えるには、どうすればいいか。
何年たっても何十年たっても、
名作として燦然と輝くにはだ。

人間の本質に、どこまで迫るかではないか。
いつの時代にもさほど変わらない、
人間の本質だけで物語をつくることではないか。

人間をある種の動物として描き、
それを統御する理性や良心や社会性や、
優しさやユーモアを描くことではないか。


「或る夜の出来事」を見た。
「素晴らしき哉!人生」のフランク・キャプラ監督作品であり、
スクリューボールコメディ
(スクリューボールとは変化球のこと。
風変わりな男女が喧嘩しながらもいつしか惹かれあうコメディ)
の元祖だ。

元祖ということは、こういうタイプの映画が、
その後大量につくられたということだ。
そのジャンルをつくったということだ。

見れば、多くのラブコメや、
「ローマの休日」(これを下敷きとしたか)、
「アフリカの女王」(ロードムービー的に男女が呉越同舟となり、
喧嘩しながら惹かれていく)、
「北北西に進路をとれ」の名ラスト、
などを思い出すだろう。
品のあるラストはとくに素晴らしい。
しゃれたラストの見本のひとつだ。

1934年の作品、つまり80年前の作品である。
あなたの脚本は、80年後も機能するだろうか。
つまり、ここまで笑わせ、ウィットにうならせ、
楽しい気分にし、クライマックスの展開にハラハラさせ、
ラストに上品さを感じさせ、
人間というのはこのような生き物で、
人間というのはこのようでありたいと思わせる、
端正で完璧な脚本だと、
思わせることが出来るだろうか。


表面上のテクニックなんてのは、
80年もたてば、威力を失う。
なぜバスの中の歌であそこまで盛り上がるのかわからない。
(でも楽しいシーンだった)

時を越えるには、人間の本質的なことで、
物語を組むことだ。
現代的なこと、最新のことを話題にするのは当然だ。
(おそらくこの映画も、新聞記者は最新の職業のひとつで、
婚約者の飛行機乗りも当時の最新だろう)
その題材の中にある、
普遍の人間の部分で、物語を組むべきだ。

で、その本質的な部分、
というのを言葉にしたいのだが、、それがなかなか難しい。
まあ観てその意を汲んで、というしかないのが、
僕の表現力の限界だ。
しかし大人だなあ。
今の日本人は、ここまで大人かなあ。


相変わらず内容と邦題が一致していない。
原題、It happened one night
「それは一晩で起こった」という直訳か、
意訳して「恋はその夜に」、
内容に沿って、「そのバスの行き先」「毛布越しの二人」
あたりに改題はどうだろう。
posted by おおおかとしひこ at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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