登場人物を減らすことでどのような効果があるか、
登場人物が多い例で実践してみよう。
取り上げるのは話題の「マホロバ」だ。
既に書いたけれども、三つ巴の構図が多すぎで、
物語は若干飽和気味になり、焦点が分かりにくくなっている。
(それを演出と役者のパワーで乗り切るパワフルな作品ではある)
物語は現実ではない。整理された架空である。
世界やテーマを語るために、分かりやすい構図でなければならない。
理想は、最低限の登場人物でやるべきだ。
「余計な人物」がいるなら削るべきだ。
じゃんけんに4つめの手があるとする。
仮にムーとしよう。
ムーはグーに負けるがチョキに勝ち、パーとはアイコ、
ムーがアイコになったら負け、
というのを仮に決めてみる。
グー、チョキ、パー、ムーによる4手のじゃんけんが、
登場人物が多くて整理されていない物語だ。
関係性は複雑で、多彩で、織り成す模様は様々で、
旧じゃんけんより深いように、一見思える。
ところがだ。
人間は紙に書いて整理しない限り、
頭の中で同時に要素を沢山並べて、
その関係性を把握出来ないのだ。
(それは3すらも難しく、2.5であるという仮説を書いた)
作者や関係者は、紙に書いて整理することができる。
しかし観客は、見ている途中紙に書いて整理することができない。
(だからパンフでは、人物相関図で補足したりする。
しかしそのような予備教材を必要としないもののほうが、理想の筈だ)
簡単な数学を。
物語の要素、登場人物とその関係の糸を計算しよう。
2要素なら、関係の糸は2だ。
両思いではなく、それぞれがそれぞれをどう思うかを考えると、
関係の糸は2本ある。
以下、nC2=n*(n-1)で計算できる。
3要素なら、関係の糸は6、
4要素なら、関係の糸は12、
5要素なら、関係の糸は20と、
要素が増えると、
我々の把握しなければならない関係の糸は、加速度的に増えるのだ。
短期記憶における、マジックナンバー7という経験則がある。
人間が一度に覚えられる数は、7つまでだ。
つまり、物語が三角関係なら一度に把握できる。
四角関係になると、全ての、誰が誰をどう思っているか、
その過去の因果については、人間は全てを一度に把握できないということになる。
多くの物語では、カップルは両思いであることや、
男2女1の三角関係なら、男同士に接点はないことなどで、
関係性の糸を少なくするような工夫を(おそらく無意識に)している。
全ての人物が全員と関係するような物語は、だからあまりない。
逆に言うと、登場人物を増やすということは、
関係性の糸が相対的に少ないということだ。
より少ない人物での物語より、人間関係が逆説的に薄くなるのである。
僕は経験則で、
映画のメイン登場人物は、5、6人がベストだという説を唱えている。
適度に濃密で、適度に省略が行える数だと思っている。
さて、マホロバだ。
登場人物を列挙してみよう。
流浪人 ザッパ
<狂言回し> ナルカミ
<牙津国> 王 (すいません役名わすれました)
第一王子 イコマ
第一王女 ミズホ
第二王子 ミズハ
<赤土村> 長老 オリベ
ヒロイン ヒノコ
村人たち
<樹海> 女王 イバラギ
大巫女 (すいません役名わすれました)
<狂言回し2> ヒュンテ
モモ
計12人であり、3時間とはいえ、多いと思う。
すでに批評した通り、大きな構造が三つ巴だ。
感情移入する側の赤土の村、敵国の牙津国、
第三勢力の樹海である。
主人公ザッパが流浪の者であるところから、
本来、ザッパが狂言回しになるべき世界構造だ。
「ザッパが旅する世界」として、世界の命運が語られるべきで、
過去(母親との)→屍肉喰らいとして見世物小屋→
牙津国出奔→赤土村→樹海(にある黒紋杉なる世界樹)
と、旅程が組まれるべきだ。(過去は回想内)
おそらく大きくはこの構造なのだが、
狂言回しが他に三人いるところが、この物語をややこしくしている。
ナルカミ、ヒュンテ、モモである。
ザッパを狂言回し、世界を旅する男とするために、
いったんこの人物を全て削る。
となると、人物表はこうなる。
流浪人 ザッパ
<牙津国> 王 (すいません役名わすれました)
第一王子 イコマ
第一王女 ミズホ
第二王子 ミズハ
<赤土村> 長老 オリベ
ヒロイン ヒノコ
村人たち
<樹海> 女王 イバラギ
大巫女 (すいません役名わすれました)
わりと分かりやすい構造になってきた。
しかし、物語の原動力は、おそらくナルカミである。
ザッパと牙津国を、イコマとを結びつける糸である。
ナルカミを復活させるなら、三つ巴の構造を対立構造にへらすべきだ。
ためしに、樹海を切ってみよう。
流浪人 ザッパ
<狂言回し> ナルカミ
<牙津国> 王 (すいません役名わすれました)
第一王子 イコマ
第一王女 ミズホ
第二王子 ミズハ
<赤土村> 長老 オリベ
ヒロイン ヒノコ
村人たち
おそらく、これが物語の基本構造だと思う。
それには、そもそもこの物語が何を語っているのかについて、
分析する必要がある。
ザッパとミズハの運命が縦軸だ。
マホロバという目標が、マクガフィンである。
マホロバという(存在しない)理想郷を求めて、人は生きる。
生きることは、殺し合いも含む。
二人の幼い子供の頃の約束、「マホロバを目指すこと」が、
二人の運命を決定づけている。
とすると、二人ではじまった二人の運命は、
二人の殺し合いがクライマックスになるべきだ。
ザッパが光、ミズハが闇に対比されるべきだから、
ザッパはマホロバを信じていて、ミズハはマホロバを信じていない、
という対比が基本形だろう。
(ザッパはマホロバを信じていないのに、ミズハは信じている、でも、
両方とも覚えている、でも、変化球はつくれる)
二人には、さらに対比的要素が盛り込まれている。
言葉だ。
「言葉を知らない野生児が、言葉によって世界をどうこうできる力を持つ」
ことは普遍的な人類のテーマだから、
それと対比させるなら、「言葉を持った故の悲劇」だろう。
ミズハには、言葉の悲劇を担当してもらわなくてはならない。
現状では、イコマが裏で「言葉(嘘)」で操る、ということにしている。
言葉の悲劇は、ミズハの知らないところで起きている。
が、ミズハを完全に悪に落として対比させる為には、
「言葉によって、人を殺す悲劇を作れる」ことを、ミズハ自身が学ぶべきではないのか。
王位継承を、イコマの操り糸による結果的悲劇的演出ではなく、
ミズハが「言葉によって」王を殺すに至る、というドラマがあれば、
よかったと思う。
「言葉を信じるから悪いのだ。どんな言葉も、嘘をつくことができるではないか」
と、言葉のマイナス面をミズハが背負うべきだ。
だからこそ、ザッパとの再会での、二人で決めた合図、
最初の言葉である、カンカンカンミズハー、が効果的になるはずだ。
「お前はそれで俺にどんな嘘をつこうと言うのだ」とミズハがその真実を疑えば、
二人の立場の違いは最も離れた筈である。
だから、言葉だけの存在「マホロバ」は嘘なのだというミズハと、
言葉だから存在するというザッパに、対比できた筈である。
(とりあえず真逆の思想にするべきなので、この例でなくともよい)
そのラストステージが、牙津国の城であるべきか、
世界樹のある樹海かは、好みの別れる所だ。
樹海の存在が、単なる二項対立の世界をおもしろくしていることは間違いないからだ。
ヒロイン、ヒノコの存在が微妙である。
彼女の運命は面白いのだが、それがザッパとミズハのメインプロットに効いていない。
さて、ジャストアイデアだが、
樹海の存在だけは復活させて、
ザッパ、ナルカミ、ヒノコあたりを、樹海出身、とするのはどうだろう。
既に滅亡したいまわしき国の亡霊とするのは。
たとえば、牙津国の宿敵で、牙津国が滅亡させ根絶やしにした筈の国、
という設定にすれば、
ナルカミがいつか牙津国に対する復讐をしようとしていた、
という狂言回しの物語をつくれる。
したがって、このような人物表はどうか。
流浪人 ザッパ(樹海出身)
<狂言回し> ナルカミ(樹海出身)
<牙津国> 王 (すいません役名わすれました)
第一王子 イコマ
第一王女 ミズホ
第二王子 ミズハ
<赤土村> 長老 オリベ
ヒロイン ヒノコ(樹海出身)
村人たち
<樹海>(すでに滅んだ国)
とすれば、世界樹をラストステージに、
ザッパとミズハのラストバトルが描けそうだ。
たとえばイコマが樹海に眠る秘宝を手に入れれば王になれる、
などに改変すれば、樹海の中心、
世界樹を目指す後半戦は書き直すことができるからだ。
ヒノコは失われた樹海の王族の末裔、は残すことができる。
ナルカミは、そのあざで王族の末裔が生きていることに気づく、
というドラマを再構成することが可能だ。
テーマ=言葉=マホロバをめぐる、
ラストバトルへのストーリーラインは、
このようにして整理することができそうである。
結論は、どうしようか。
マホロバは今我々が踏みしめている大地なのだ、という結論にするのなら、
世界樹が倒れ、そこから様々な種や木が生まれて日本になった、
というおおもとを踏襲したラストにはなりそうだ。
「ザッパは生きている。なぜなら、ときどき山からうなり声が聞こえるからだ。
私はザッパに会って、話したいことがあるのだ」
のようなヒノコの語りで終わらせると、
現状の読後感のままテーマに落とすことができるかも知れない。
じゃんけんのムーをとりのぞき、グーチョキパーの三手とするのは、
ムーがテーマにとって関係ない、という判断ができなければならない。
いつも、「テーマは何か」を考えて、逆算で世界は構築されるべきである。
いやいやマホロバのテーマは希望なんだ、言葉じゃないんだ、
となるなら、また別の構造が必要になる。
すべては、テーマだ。
テーマが物語を決める。物語がテーマを決めるのではない。
あ、トリックスターであるヒュンテとモモは、この構造なら復活させられるかもね。
(追記:マホロバ関連まとめました。→まとめ)
2014年07月28日
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