2014年07月30日

脚本を書くモチベーション

何故あなたは書くのだろう。
完成させてどうしたいのだろう。
完成形を流してどうしたいのだろう。

人は色々なものを動機に書く。
ぼくは、最終的には、
その面白さや感動を、みんなと分かち合いたいからだ、
と思いたい。


よくあるモチベーションは、
自分は凄い作品をつくる、凄い人と認められたい、
どんな形であれ歴史に残りたい、
自分は進化した人間であり、愚民を従わせたい、
俺の真実を分かって欲しい、
マーケティングに従えばお金が儲かると聞いた、
皆の求める感じはこういうパターンだから、こう書いてみた、
うまくパクればばれやしないさ、
などである。

あとプロになると、
政治的な要求を満足させるために色々なことを曲げること
(それはお金を稼ぐため)
などもある。


これらは、よい作品を絶対に生まない。
これらのモチベーションで書かれたものは、
絶対に面白い、価値のある作品にはならない。
たいてい、どこかに出すと恥ずかしい作品になる。
それは、独りよがりで、中途半端な作品だ。
見る人を選ぶ作品だ。
見る人を選ぶということは、見る人もそれをはじくということだ。


僕はこの作品がとても面白い話だと思う、
それを皆で共有したい、だから見ようよ、
というものだけが、
みんなが見たい話になる。

クラスの人気者と同じだ。


本気で自分の書くものをオリジナルの面白さだと信じ、
それはみんなを巻き込むほどの面白さだと思って書いていない限り、
それは本気で面白くならない。

経験的には、「自分が書く」という意識ではなく、
どこか異次元に存在する物語に、今書かされているぐらいのときに、
ようやくそれは、みんなが待望する面白い話になる。
(風魔の10話なんて、僕はほぼ自動書記で書いてたし)

だから、我々は異次元の探索者なのだ。
面白い話を思いつき、その全貌を異次元から取り出そうと努力する人なのだ。
こうすれば面白いんだろう?というセオリーやパクりや、
こうすればオレスゲエと思われる、
は、物語の存在する異次元ではなく、低俗な現世のものである。
それは、簡単に読者や観客にばれるのだ。
(若者の書く下手なオリジナル小説を読んでみると、
それがよく分かる)

我々は、それ面白い!という閃きを提供する者だ。
自分も本気で面白いと思い、
それをみんなが本気で面白いと思う、
何かを閃くのが仕事なのだ。
(面白い!は、笑いだけでなく、感動や、惹かれることや、
驚き、心が動くことなど、我々が物語を欲するすべての感情を意味する)


その意味では、二次創作のほうがモチベーションは合っている。
「皆で愛でたい」ことについてはただしい。
ただ愛好者限定という空間の閉じているところと、
オリジナルではないということを除いては。

誰もがいいと思うもの、という開いた物語、
誰も見たことのない、新しい設定やパターンや新しい感情の物語、
それをつくりだし、その面白さを皆で共有したいことが、
我々のモチベーションであるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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