2014年08月05日

不在の在2

不在なのにそれが在になるものは、
たいてい言葉による呪縛である。

桐島(「桐島、部活やめるってよ」)、
レベッカ(「レベッカ」)、
マホロバ(演劇「マホロバ」)、
その他、
ユートピア、幸せな人生、素敵な仲間がいてたのしい暮らしが出来る所、
僕のイメージでは、トキワ荘、梁山泊、NASA(理系研究職の最高峰)もそうだ。
田舎の人にとっての東京もそうかも知れない。
(僕は関西出身なので、敵地というイメージもあるけど)


それらは全てカギカッコつきの言葉だ。
概念だ。
大学のために東京に行く、のではなく、「東京」に行く、という表現になる。
具体的な場所ではなく、憧れや羨望を含めた、イメージとしての東京に。
それはリアルよりもだいぶ膨張したイメージである。
童貞にとっての女性、ぐらい。


イメージをこのように言葉に宿らせると、
それは一種の呪術になる。
そのイメージで縛ることができる。
メンタリズムやホットリーディング、催眠術などの言葉の魔術でも使える手だ。

ミスリードにも使える。
Aと最初思わせて実はB、というどんでんは、
最初のAで、どれぐらいイメージを強烈につけておくかという仕込みが大事だ。

「私はあなたを監視していますよ」という脅迫は、
その言葉によって、常に監視していなくとも相手を疑心暗鬼にすることができる。
「全部聞いたんだけど」というハッタリは、浮気を暴露させるのに使える。


言葉は、相手を縛る。
西洋的にいえば契約である。(結婚の約束とかもね)
だから悪魔との契約は、言葉による呪縛なのだ。

その力を理解した者だけが、言葉を自在にあやつり、
相手の中に、実は存在しないものを存在しているかのようにするだろう。
それが詩の力だ。
詩というと、日本人にはなんだかよくわからないものだが、
本来は、言葉による概念の縛りなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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