不在なのにそれが在になるものは、
たいてい言葉による呪縛である。
桐島(「桐島、部活やめるってよ」)、
レベッカ(「レベッカ」)、
マホロバ(演劇「マホロバ」)、
その他、
ユートピア、幸せな人生、素敵な仲間がいてたのしい暮らしが出来る所、
僕のイメージでは、トキワ荘、梁山泊、NASA(理系研究職の最高峰)もそうだ。
田舎の人にとっての東京もそうかも知れない。
(僕は関西出身なので、敵地というイメージもあるけど)
それらは全てカギカッコつきの言葉だ。
概念だ。
大学のために東京に行く、のではなく、「東京」に行く、という表現になる。
具体的な場所ではなく、憧れや羨望を含めた、イメージとしての東京に。
それはリアルよりもだいぶ膨張したイメージである。
童貞にとっての女性、ぐらい。
イメージをこのように言葉に宿らせると、
それは一種の呪術になる。
そのイメージで縛ることができる。
メンタリズムやホットリーディング、催眠術などの言葉の魔術でも使える手だ。
ミスリードにも使える。
Aと最初思わせて実はB、というどんでんは、
最初のAで、どれぐらいイメージを強烈につけておくかという仕込みが大事だ。
「私はあなたを監視していますよ」という脅迫は、
その言葉によって、常に監視していなくとも相手を疑心暗鬼にすることができる。
「全部聞いたんだけど」というハッタリは、浮気を暴露させるのに使える。
言葉は、相手を縛る。
西洋的にいえば契約である。(結婚の約束とかもね)
だから悪魔との契約は、言葉による呪縛なのだ。
その力を理解した者だけが、言葉を自在にあやつり、
相手の中に、実は存在しないものを存在しているかのようにするだろう。
それが詩の力だ。
詩というと、日本人にはなんだかよくわからないものだが、
本来は、言葉による概念の縛りなのだ。
2014年08月05日
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