脚本を書くときのコツ。
あるいは、リライトの本質。
今、あるアイデアや場面を、
豊かに発展させていくのか、
あるシンプルなものに集約していくのか、
どちらをすべきか、自覚しながらやること。
中国拳法の口伝に、
「先に大展を求め、後に緊奏を求む」というのがある。
技や動きに関して、
最初はなるべく大きくのびのびとやって、呼吸や筋肉を鍛え、
マスターしたら、動きをなるべく小さく、速く、コンパクトに、
気づかれないものに変えていく、
という考え方だ。
最初から小さい動きでは、威力も小さく、相手によっては制御仕切れない、
ちっぽけな動きになってしまう。
だから、動けるときにはいつでもマックスダイナミックに動けるように鍛えておき、
それとおなじ効果を出せるように小さく圧縮する。
大展とは大きく展開すること、
緊奏とは小さくまとめていくことだ。
最初から小さくまとまるな、
まず大きくなってから、一瞬でそれが出来るような小さいものへ凝縮せよ、
という、「人間とは」にも通ずる教えだ。
脚本を書くとき、
アイデアが膨らんで、場面が増えたり、描写が増えたり、
展開が増えたり、登場人物が増えたりすることはよくある。
それがわくわくになったり、
ハラハラドキドキになるのはとてもいい。
第二幕は、ほとんどそれでベースをつくるようなものである。
話がよく脱線する人は、これが得意な人かも知れない。
連想や関連する何かによって、話を広げるのが得意な人だ。
(※話を広げるのと、深めるのは違う)
これは、執筆前や、執筆中にいくらでもやるべきだ。
少々長くなったかな、と自覚的に思うまで書いてもよい。
話の到達点は、遠いほどよいと思う。
それは、この話はどこまでを含んでいるのか、
という広さや深さの確認でもある。
同時に、この場面は「本来」どれくらいの規模であるべきかも考えるべきだ。
全体(映画の執筆は、全体が出来てからするべきだ)に比べて、
長すぎるかどうかを自覚的に判断する。
長すぎるなら、どう小さくまとめるかを考える。
何かを単純に削ることでコンパクトになることもある。
しかし単純に削って効果的なのは、本当に無駄なものだけだ。
(脚本業界には昔から、書くだけ書いて、あとは切るだけでなんとかなる、
という考え方があるが、それは乱暴すぎると思う)
ふたつ以上のものを、全く別のひとつにまとめるとか、
質的に異なるものへと緊奏しない限り、
よいコンパクトにはならない。
小さい車をつくるとき、
アメ車のパーツをいくら削っても、そのパーツにはならない。
シャーシから、ボディから、エンジンから、
小さいものに最初からつくり直す必要がある。
かといって、最初から小さくまとめては、
小さい車はそれ止まりにしかならない。
いいリライトは、まず大きく発展させ、
のちに上手く集約したもののことを言う。
発展した大きなエネルギーを、
コンパクトに凝縮して伝えるのが、いいホンである。
太鼓や拍子木を思い出すとよい。
最初はドン…ドン…とゆっくりしたリズムではじまり、
ドン、ドン、ドン、ドン…とリズムは速くなり、
ドンドンドンドンとさらに速くなり、
ひと間たっぷり待って、ドンと一発で決める。
こんなイメージだ。
全ての執筆、リライトは、そのようにしなやかになっているべきだ。
大抵、あちらを直せばこちらを直す、
などのようなツギハギになってしまうのは、下手なリライトだ。
そうならないために、
全体でここのリズムはどのパートなのか、
どのリズムであるべきなのか、
そもそも全体のリズムはどうなのかを、常に意識する。
全体のリズムがどうあるべきかを、
リライト前に練り直すこともある。
前半たっぷり間をとるべき、とか、前半はさっさと巻き込まれるべき、とか、
中盤をテンポよく、とかだ。
それは、全体やそのまた周りが見えていないと難しいかも知れない。
全体を見ながら部分を直していく感覚は、
身につけるには修練が必要だ。
ある映画を、頭の中でリライトするのはよい訓練である。
あるべきリズムとずれた所はどこか、
つまり退屈だった所や、物足りなかった所はどこかを洗いだし、
どうコンパクトにすべきか、どう発展させることが、
よりよくなるかを考える。
名作と呼ばれるものでも、それはやってみる価値はある。
僕は、見る映画見る映画、全てそれを考えてしまう職業病だ。
ダメな映画は無視するが、
いい映画、惜しい映画は、ついつい頭の中で構成を洗いだし、
リライトすべき場面を洗いだし、それを頭の中で再構成したりする。
ある映画のこの場面を切ったらどうなるだろうか、
ある映画にこういう場面が必要なのではないか、
(あるいはそのような場面がないのは何故か)
などを考えるのは、編集の訓練にもなる。
それが妥当かどうかの判断基準は、
やはりテーマに帰ってくる。
あるテーマを語るのに、
これはどの部分問題を語っているのかを把握する。
そのうえでバランスをとるのだ。
(そうでなければ、テーマに対し整理されていないものになりがち)
リライトは、最終的にはリズムの洗練に戻ってくる。
ある意味をどのテンポで理解させるか、ミスリードなども含めて楽しませるか、
ということが、時間軸を持つ芸術の最も面白く、難しいことだ。
2014年08月05日
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