今の興行にとって、僕が最大の癌だと思うのが、
パブリシティという発想だ。
パブリシティとは、ニュースなどに取り上げられることで、
広告効果があった、と考えることだ。
実際に内容がよく話題になっていれば、
その宣伝効果はよりよい相乗効果の循環を生む。
しかし、実際のパブリシティは、
内容に関係なく、「有名芸能人を追う」ことが問題なのだ。
いわく、○○が舞台挨拶、○○が公の場に出て熱愛を否定、
などの芸能ゴシップだ。
これが、本来の硬派な劇評や広告効果に混じるのなら構わない。
賑やかしとしてお祭り感に寄与するだろう。
(私のプライベートより、映画の内容を見てね、とおどけることも可能だ)
だが、今の宣伝は、殆どをパブリシティに頼っていることが問題だ。
何故か。
タダで宣伝できる、という浅ましい考えだからだ。
例えば、テレビCMを流すのには金がかかる。
よくこのCM見るなあ、という基準は、3000GRPだ。
(GRPとは視聴率×放映回数を基準とした単位)
全国ならこれで大体3億が飛ぶ。
最近不景気なので、集中的にオンエアして2000とか1500に落とす傾向がある。
映画の制作費は、純粋にフィルムをつくることだけでなく、
この宣伝費も含む。(宣伝費を普通PAという。パブリシティ&アドバタイズの略)
CMを打ったり、駅や電車にポスターを貼るのは、
そのCMやポスター制作費を1として、9がけが媒体費である。
(3000GRPなら3000万でCMをつくる)
フィルムの制作費より、電波に乗せる代金が高いのだ。
さあ、不景気である。
億単位の宣伝と、タダでマスコミが来てくれて、
新聞やニュースやワイドショーで流してくれる、
タダの宣伝、宣伝部はどちらをとるだろうか。
勿論後者だ。
映画のキャスティングに有名芸能人を使うのは、
第一に、マスコミが取り上げてくれてタダで宣伝になる、
パブリシティ狙いなのだ。
そして、意図的なパブリシティというのが、世の中にある。
お金を払ってマスコミを呼び、取材させるというやり方だ。
(イベント系広告代理店の仕掛け)
マスコミの自主的な取材ではなく、
お金を払ってニュースにしてくれ、というものだ。
これをパブリシティ広告という。
これにかかる費用は、マス広告(CM、ポスター)より遥かに安い。
億単位より数百万である。
だからパブリシティに頼る。
ネットでも、噂の○○、今話題の○○、などのニュース的な記事を書いて、
実質広告になっているものは、殆どがパブリシティ広告である。
(ステマ)
ネットの費用は、リアルのマスコミ会見よりも更に安い。
これは数十万から百万でできる。
つまりは、価格のダンピングの歴史だ。
安い広告に流れる故に、
マスコミが取り上げられやすいようなキャスティングが求められるのだ。
内容に相応しいかどうかではなく、だ。
テレビドラマの世界でも、
数字を持っている芸能人を起用する。
問題は内容ではなく数字だけを頼りにするところだ。
数字優先で内容とそぐわないキャスティングになり、
結果数字を伴わない惨敗が、
最近は恒例にすらなっている。
問題はなにか。
本来、
映画というものは、物語が優先である。
物語に相応しい人が演じ、結果を出していい物語にし、
その物語が世間に浸透するような、
コンセプトに興味を持ってくれる広告を、
全うに打つべきだ。
ところが、その広告費をけちる。
有名芸能人をエサにマスコミを釣って、なるべく低い費用で。
その代わり映画の内容も書いてくださいよ、
という両者の合意は出来ない。
それは報道の自由を規制する、報道管制にあたるからだ。
つまりマスコミは、興味のある芸能ゴシップしか書かない。
(詰まらない映画だ、とも金をもらっている以上言えない)
芸能ゴシップが書きやすいように、内容を修正する
→内容が微妙→客が来ない!→もっと宣伝しなきゃ!
→マスコミが来やすいキャスティングに!→更に内容むごい
→惨敗→助けて!
が、現状だ。
有名芸能人で気を引くのは、映画が興行である以上仕方がないこと。
しかし、それが内容に影響を及ぼすほどなのは、
本来避けるべきだ。
角川映画宣伝部の例。
「いけちゃんとぼく」のCM出稿は150GRPだった。
あまりにも桁が低い。誰も見ちゃいない数の愚。
「号泣率98%」なんて、内容とはまるで関係のない、
泣ける映画路線でしかCMを打たない愚。
(ぼくは、「夏休みに少年は大人になる。」などの、夏と少年のコピーや、
「曲がり角を曲がったら、いけちゃんは消えていた。」などの成長のせつなさのコピーや、
「ありがとう。あいしてる。」などのラブストーリー系のコピーを書いた。
しかし徹底無視だ)
しかも予告編やポスターでネタバレする愚。
ポスターやジャケットのデザインもセンスがないし、
第一、僕は一度も見ずに勝手につくられている。
パブリシティは、全てともさかりえに一任。
女性誌中心のインタビュー。
蒼井優や主演の深澤嵐ではなく、だ。
映画の内容とは違う、タダで宣伝できると思う愚。
監督は、全てをノーチェックスルーだった。
この映画はこのようなものであり、
このように楽しんでほしい、というメッセージは、
僕はパンフの原稿と、ラジオ出演以外で発言する場を持っていない。
全ては、宣伝費を浮かせたい、という考え方なのだ。
テレビ局が出資する映画が主流になって久しい。
最大のメリットは、億単位の電波代を、
全部テレビ局がタダでやるところだ。
ついでに、他の番組に有名芸能人を出演させ、
パブリシティを打つことが出来ることだ。
芸能人を中心とした、護送船団方式になっているのだ。
パブリシティは、要するに、
「馴染みのあるものに人は手をだしやすい」という経験則に基づくものである。
大衆はそのような群衆心理を作り出されている、浅ましい手段で、
と自覚したほうがよい。
本当に面白いかどうか、それに惑わされない目をもち、
安易なパブリシティに騙されない目をもつことが、
今の時代の観客のリテラシーだと思う。
2014年08月10日
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