2014年08月11日

るろうに京都大火にも足りないもの

ゴジラと同じく、人間のドラマ。
剣心にいつまで経っても感情移入出来ない。

凄い男を描いて感情移入させるには、
弱点をつくることだ。
薫がそれになっているような意図だが、
抱きしめるだけの表現でそれを表現しきれているとは言いがたい。

(以下ネタバレこみ)


前作は基本忘れていると思って、
薫との印象的なドタバタの面白い日常を描き、
それが戦乱で失われてはならぬ平和なのだと、剣心に痛感させるべきだ。

たとえば、のちに平和の象徴として使われる小道具の、
風車を前ふりするべきだ。
お祭りが近いから、と薫が風車の作り方を教えて、
剣心が不器用でつくれなくて、みたいなごく普通のコメディでよい。
人を切ることとものをつくることを対比させておくのだ。

現状のシナリオでは、青空の赤子が戦乱と逆の平和の象徴になっていて、
薫不要になってしまっている。
キャストごり押しで嫌になるのも分かるが、
薫に感情移入させるエピソードが欲しい。
でなければ薫は京都に来る必要はなかったはずだ。

剣心が惚れ込んでいる活人剣の正体もひとつ欲しい。
「身心を鍛える手段としての剣」は、
現代に至り、殆どの武術は単なる体操と同じ、
と揶揄されて反論する術を持たない。
それに反論しうるものを、薫が主張すべきだ。
薫の弟子が剣心にえげつない殺人剣を教えてください、
というのを断るのはいいが、
実際の殺陣で使われていたものは、
殺人剣でもなんでもない、ただの外道アクションだった。
(全体的に言えることだが、棒で触るだけの殺陣で、
キメの切るとこだけ引き切りで、段取りくさいものだった。
様式美というべきかどうか)


あと、蒼紫は不要だと思う。
京都での翁戦はすさまじく良かったが、
それなくても話はすすむよね。
あのアクションがないと、京都大火と銘打っておきながら、
肩透かしだったことの言い訳がなくなるのは分かるが。

何のために蒼紫がいたのか、全く不明だ。
主筋に絡むべきだろう。
せめて佐之助と再戦するとか、戦艦に絡ませるとか、
京都はフェイクだということに絡むとか。

全部切れば、話は実に分かりやすくなる。
志々雄一派と剣心との主軸に、忍びが絡む話になる。
その主軸が感情移入出来る話になっていないのが問題だ。

実は、僕は漫画版がいまいち好きではない。
剣心に感情移入出来なかった。
あのヘンテコなしゃべりが抜刀斎を押し込める方法、
という解釈が、今回のハイライトだとすら思った。
二重人格ものにもっと深入りすれば、
人間の業を描ける題材になるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック