トランスフォーマーは3までは見た。
1だけが唯一ぎりぎり映画だと思う。
主人公の、アメフトの技が生きるシーンがあるからだ。
2以降は人間のドラマではなく、
CGプロレスだった。
CGに事情があり、感情があり、行動があったとしても、
それはもう物語ではないのでは、
と僕は考えている。
宇宙人を主人公に出来るだろうか。
それは、ひとえに感情移入出来るか、に尽きると思う。
自分より遠い者に感情移入させるコツは、
「この人も私と同じ人間なのだ」という部分だ。
宇宙人だろうが、CGだろうが、着ぐるみだろうが、クレイアニメだろうが、
そこに「人間」がいる、と思うことで人は感情移入するのだ。
マイケルベイ版トランスフォーマーのコンボイ
(僕にとっては玄田哲章のコンボイだ)やその他のキャラは、
いつまでたっても感情移入出来ない。
なんでだろう。
そこに人間的な部分を認められないからだろうと思う。
「人間臭い」ところはちょいちょい描かれる。
が、感情移入に至ることはない。
一方、「T2」でのシュワルツェネッガーには、
最後に感情移入する。
機械だから感情を理解出来ない、と前ふりをしておいて、
冒険の果てに「人間が何故涙を流すのか分かった」というからだ。
ピノキオが人間になったように、
T-800は自己犠牲をする人間になったのだ。
(追記。T1000と800間違えてました。シュワルツェネッガーのほうです)
我々は、人間にしか感情移入出来ない、と言ってもよい。
動物ものに感情移入するのは、
主人に会いたくて危険な旅をするとか、
メスに会いたくて何かを持ってくるとか、
人間にも共通のことを発見して、感情移入するのだと思う。
人間でないものが主人公やメインキャラになるのは、
物語の中でとてもよくあることだ。
ビジュアルの面白さや設定の面白さという、
フィクションの華でもある。
しかしそれに感情移入させるためには、
女子高生がキモヲタに感情移入する以上に、
難しいことかも知れない。
非人間の部分を描くこと、その中に人間を描くこと、
その双方のバランス能力が求められるからだ。
この夏は、そんな映画ばかりだ。
CGの発達によって、華が描きやすくなったからだろう。
ゴジラ、トランスフォーマー、her、るろうに。
さて、人間を描いているのは、どの映画だろう。
人間でない者を人間に描くのは、どの映画だろう。
(ゴジラとるろうには見たが、どちらも人間は描けていなかった)
2014年08月14日
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