何故か今ヒッチコックを見直している。自分の中のプチブームだ。
今日はサイコの話。
この作品の成否は、ミスリードにかかっているといってよい。
ミスリードを成功させるコツは何か。
実に簡単だ。
リードが上手いことだ。
Aという方向へ導くから、Bへどんでん返し出来るのだ。
リードするのが上手いから、夢中でAへ誘導される。
ミスリードが下手な人は、リードが下手な人だ。
つまりは、基本中の基本、
「ストーリーの行方に興味を持たせること」が出来ないと駄目なのだ。
(以下ネタバレ)
「サイコ」のリードは、みっつある。
1. 遠距離恋愛の不自由の行方。
2. 主人公が盗んだ4万ドルの行方と、彼女が捕まるかどうか。
3. 不気味な母は、いつ姿を現すのか。
この物語は、この番号順に焦点がうつってゆく。
会社の昼休みに抜け出して出張中の男とセックスする女を描いておいて、
このような不適切な関係よりも、結婚したいという話をトップシーンで前ふっておく。
これで主人公の女の動機を明確化する。
彼女の行動の理由は、全て結婚のためだ。
彼女は美人なのだろう。あらゆる男が寄ってくる。
さっさと結婚したいという動機を描いておいて、
4万ドルの現金を盗み逃走する。
いずれはばれる。しかし逃走しきって彼と結婚するのかが焦点になる。
車で町を出る所を社長に見られた。
ストーリーはこの方向に、最初にリードされる。
(ここまでで1ロールの約15分を使う)
ところが。
警官に職務質問され、尾行されるあたりから、
彼女が捕まるかどうかに話はリードされてゆく。
車を買い換えて乗り換え、警官を振り切り、
偽名で泊まり、しかし街に帰ろうと思い直す。
このとき巧みに、モーテルの向かいの不気味な家の、
不在の母親の声で、存在感をつくっておく。
シャワー室で突然惨殺されたあとは、
不気味な不在の母親が、いつ姿を現すのかが焦点だ。
何故なら、「彼女が事件の真相を全て知っている筈だ」という方向にリードされるからだ。
この物語は、このように三度のリードが行われる。
第一のリードは、主人公の死によって途絶える。
第二のリードは、主人公の死と沼に沈んだことで途絶える。
第三のリードは、地下室で母の正体が明かされるまで引っ張り続ける。
これがいずれも強力なサスペンス(解決していないサスペンド)
となり、話の焦点を常にひとつに保ち続けているところが、
この脚本の優秀なところだ。
勿論、主人公の女が中盤で殺されるという意外性や、
男が母親と二重人格だったというオチの意外性が独創的であることは、
言うまでもないことだ。
逆に、その派手な所に目を奪われ、
この脚本の真に巧みな所がなかなか言及されないのは、
いかに脚本論が世の中に分かられていないかという証拠だ。
意外な所へどんでん返ししたいのなら、
ミスリードをすればよい。
ミスリードとはあとから見て分かることで、
その最中は、強力にリードされていなければならないのだ。
(改めて見て、ラストに沼から車が引き上げられてて、
ああ4万ドルは回収された、という解決があることを初めて知った。
単なる狂ってましたオチにしない、上手なラストカットだと思う)
さて、この作品は元祖サイコスリラーとも、
元祖人の心のほうが恐い、を描いた作品とも言われる。
異常心理が恐い、という表面的なことを恐がるのは、
人の心の理解が足りない。
この作品の恐い所は、
「人の心は脆い」ということだ。
一見大丈夫な人でも、簡単に何かのきっかけで、
ああなってしまう可能性があること、
つまり、我々が正気を保っていることは、
運がいいだけに過ぎないことを描いているから、恐いのだ。
「運が悪ければ、我々も狂う」ことが恐いのだ。
不協和音、カッティング、目のショットの多用、血や水の表現などの、
ガワの怖さの優秀さを見ているのは、素人だ。
脚本の中身の優秀さは、人の心の脆さを描いたところだ。
2014年08月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック