作者の信じる面白い主観が、
他の人の面白い主観になるためには、
あなたが他の人たちと同様の何かを持っている必要がある。
あなたの悩みが特殊で、
あなたの言うことがそれに基づくものなら、
それはあまり多くの人の魂を共鳴させない。
逆にあなたの悩みが何処にでもあるもので、
それを作中でうまく昇華しているのならば、
何処にでもある悩みを抱える多くの人の魂を震えさせることが出来るだろう。
作家とは、人類にとっての、
炭坑のカナリアだと思う。
半歩先にいて、何かを皆に知らせる係なのだ。
それは、本能としか思えない。
どんな炭坑のどんなガスに反応する、どんなカナリアになるかは、
恐らく自分では決められない。
それは直観の世界だと思う。
物語とはカタルシスである。
悩みや抑圧的やトラウマなどが、
物語の解決によって、浄化される。
カタルシスが気持ちいいから、人は物語を見るのだ。
浄化される内的話は、
多くの人の共通の興味を持つことが理想だ。
たとえばハゲの悩みはハゲしか共有出来ない。
多くの男にとっては深刻な悩みだが、
そうではない人にとってはどうでもいい。
ハゲに悩み、ハゲでもいいんだ、とカタルシスを得る物語は、
ハゲを激泣きさせる可能性があるが、
恐らくハゲ以外の魂を震わせることはない。
ところが、ハゲの悩みではなく、
欠点へのコンプレックスを解消する話になると、
途端に多くの人の魂を共鳴させる話になる。
題材がハゲがダメなのではない。
ハゲの問題を描きながら、
それがコンプレックスの話を描ききっているかどうかが重要なのだ。
物語の外的題材はピンポイントに面白く、
内的話は多くの人の魂を共鳴させるものに。
もしあなたがハゲで悩んでいて、
それを克服する話を書こうとしているのなら、
欠点へのコンプレックスを解消する、他の話を参考にして、
より視野を広げるとよいかも知れない。
それを広く踏まえたうえで、ハゲの話を深く書けば、
ハゲの人も、ハゲじゃない人も、
深くカタルシスを味わえる、
多くの人の魂を共鳴させる話になるのだ。
コンプレックスを抱える人が、
ハゲの昇華を見て、カタルシスを得ることが出来るのである。
あなたの悩みなんて、たいしたことない。
人類の悩みを、想像するべきだ。
題材がメジャーだろうがマイナーだろうが、
それは見た目のガワに過ぎない。
中身のカタルシスが、マイナーかメジャーか、
ということなのだ。
ハゲでお悩みの人ごめんなさい。
生涯で一番ハゲと打ったかも知れません。
ぼくも、額の後退に戦々恐々としている者の一人です。
2014年08月20日
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