2014年08月21日

伏線は、納得するためにある

何のために伏線を張るのか、考えたことはあるだろうか。
どんでん返しのためと答えるのは、
まだまだストーリーテリングの初心者だ。

伏線は、納得するためにある。


お話をするとき、
まず最初に前提をふる。
その空間内、そのルール内でのお話だと限定する。
そして展開する。
展開の最中は、焦点がひとつに保たれ、
ターニングポイントで意外な方向へ進んで行く。
それが最終的に落ちがつく。

唐突な落ちは、納得度が薄い。
なるほどね、とすとんと落ちるには、
落ちのごく前の部分だけを考えては意味がない。
この5分のことだけ考えてつくられた落ちは、
落ちではない。
落ちとは、お話全体の落ちにならなければならない。
落ちがついて、初めてお話は全体を持つ。
つまり、初めから最後まで、という全体だ。
それが全体の落ちとして納得するには、
初めから最後まで全体の、落ちである必要がある。

だから、はじめの方の伏線を落ちで使うのだ。
いちいちはじめの方からおさらいをするほど、
物語のラストはまどろっこしくしていられない。
はじめのあのことを踏まえた上で落ちをつける為に、
即ち全体を含んで落ちをつける為に、
はじめの方の伏線を使って、話をまとめるのである。

最も良くできた例のひとつ、「ソウ」で見てみよう。

未見の方はここで帰ってよい。以下ネタバレである。










「ソウ」の伏線は、ファーストシーンにある。
転がった死体である。
そして、ジグソウは「一番近い特等席でお前らの苦闘を楽しんでいる」
とのたまう。監視カメラを見つけ、一体どこにいるんだ、となる。

中盤での冒険やミスリードを色々経て、
落ち、ジグソウとは何者かが明かされる。
もしこれがファーストシーンに関係していない、
中盤の展開の中の誰かだったら、
あれほどの納得は得られなかっただろう。
例えば刑事とか、町で一瞬すれ違った誰かだったとしたら、
まあ、そいつらに嵌められた、というだけの並の話だ。

この映画の非凡な所は、
「はじめから転がっていた死体が立ち上がる」というショッキングな落ちにある。
最初から見ていたのか!「特等席」で!
という納得感!

勿論、この大落ちにどんでん返すために、
テープレコーダーの件などの様々なミスリードがある。
これで謎は全部解明された、と思わせておいての大どんでん返しだ。
繰り返すが、この瞬間に、はじめから最後までの、
作品全体の構造が確定するのである。
だから、大きく、
ファーストシーンからのことゆえに最も大きく、
腑に落ちるのである。


ラスボスやラストステージは、最初に出ている。
これは、物語の原則のひとつかも知れない。
「青い鳥」の話は、その原則そのものがテーマだ。
(演劇「マホロバ」のいまいちさは、この原則を外しているからだ)


さて、このやり方は、全体の大構造ばかりでなく、
小構造に使える。
ターニングポイントとターニングポイントの間、
僕の言葉で言う、はじまり→途中→終わらずにつづく、
という一連の小構造の中でである。

前のターニングポイントを受け、
はじまりのシーンでは、これからの焦点を確認する。
(そしてこのファーストシーンのどこかが伏線になる)
色々あって、どんでん返し的なターニングポイントになり、
次の小構造になる。
このターニングポイントのとき、このブロックのファーストシーンの伏線を使うと、
このブロックの大詰めであることを意識させることができる。
「この」話がまとまるぞ、
と観客が身構えることが出来るのだ。
大構造の相似形になっているのである。

もしあなたが途中の小構造が今一面白くなくて困っているなら、
このやり方を試してはどうだろう。

具体的な例を。
あるターニングポイントで、焦点が絞られた。
次のブロックのファーストシーンで、
これを解決するには、AかBしかない、と前ふっておく。
成功率の高そうなAで、色々がんばる。
しかしどうやっても成功しない。
そこで誰かが言う。
「Bは試したの?」
これがターニングポイントになって、このブロックは終わり、
次のブロックへ進むのだ。

たったこれだけの文章で、
あなたは「ほほう」と身を乗り出した筈だ。
話が具体になれば、もっと身を乗り出すだろう。

「AかBか」を途中で示しては、
このファーストシーンでふっておくより効果が薄れる。
ブロックのはじまりから、その途中で示すまでが、
まるで無駄になる。(それは、編集で切る候補になる)

ソウのように、前ふり(即ち伏線)をファーストシーンでしておくこと。
それが最も上手く展開するコツだ。

他にも納得のいく構造はあるかも知れないので、
これが唯一である、とは言えない。
が、展開部や各所で困ったら、試してみるのは悪くない。


伏線は何のためにあるのか。
話に、納得するためだ。
(こうやって、話のファーストシーンに戻すことが、
終わりを示すことである)


なんでこう思うんだろうね。
話が一周すると、終わった感じがするのかもね。
これを、「円環を閉じる」テクニックと、カッコつけて呼ぶことにしよう。
(はい、ここターニングポイント)
posted by おおおかとしひこ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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