2014年08月24日

奇跡的な解決法

人は物語に奇跡を求める。
冒頭に起こった事件の奇跡を、
まず人は求める。
それは今の退屈な日常に、
何か面白いことが起こらないかと思っているからだ。

そしてそれ以上に大事なのは、
奇跡的な解決のほうだ。


こじれた問題ほど、
一発で解決しなければ映画ではない。

普通の問題を、そのへんにあるように解決しても、
それはその辺にあるありふれた話であり、
特別楽しみにする話ではない。

例えば「風邪を引く」という問題の解決は、
「栄養とってたっぷり寝る」では平凡な解決法だ。
「以前から気になっていた可愛い後輩が、
栄養のつくものを家につくりにきてくれ、看病してくれ、
何故だかいい雰囲気になる(ついでに風邪が治る)」
が奇跡的な解決法だ。
あとはこれがリアリティーを生むように細心の注意をしてゆけばよい。
あまりによくあるシチュエーションなので、
もはや奇跡的な解決法ではないかも知れないが。


つまりあなたは、鮮やかな問題解決を考え出すプロにならなければならないのだ。

それが刑事物なら、鮮やかな奇跡的犯人逮捕劇を考えつかなければならないし、
それがコンピュータものなら、鮮やかなハッキング逆転劇を考えつかなければならないし、
それが医療ものなら、奇跡的な手術の成功法を考えつかなければならないし、
それがスポーツものなら、奇跡的大逆転をうまく考えつかなければならないし、
それが恋愛ものなら、奇跡的な恋愛成就の方法を考えつかなければならない。

そこが面白いからこそ、映画は華なのである。
それが考えつかない人は、あまり面白くない脚本しか書けないだろう。

解決出来る問題を設定することは当然だ。
だが誰でも思いつく解決の回答がある問題は詰まらない。
誰もが不可能だと思い、
誰もがこれどうやって解決するんだと思い、
こんなこと出来る奴はいないだろうと思わせた所に、
主人公がやって来るものだ。

そして、それを見たときにはさっぱり解決法が分からなかった問題を、
見事に鮮やかに、奇跡を起こすように解決するのだ。
(その必然性を埋めるために前半戦がある)

我々は、一種のアイデアマンである。
物事を解決する、奇跡的な解決法を考えつくアイデアマンである。
posted by おおおかとしひこ at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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