今日雑談していて、発見したこと。
「カセットテープを編集した経験の有無が、
編集力に決定的な差をつける」という仮説。
知らない世代のために。
音楽を、レコードまたはカセットテープまたはCDから、
カセットテープにダビング録音していた時代があった。
色んなソースから、
好きなラブソング集とか、
ドライブに最適な音楽集とか、
あの子に貸す為のあの子が好きそうな音楽集とかを、
オリジナルでつくっていた。
46分テープとか60分テープだから、何曲入るかは、
曲と選ぶカセットの組み合わせで決まる。
尺に丁度きっちりに入れ、なるべく無音がないように、
(つまり終わったら早送りしてテープ頭を出す必要がないように)
曲とカセットを選ぶ能力が必要であった。
各レコードには曲のタイムが書いてあるが、
それとにらめっこしながら、計算して、
しかも聞く曲順も熟考するのである。
どんなテーマが全体を貫いているのか。
(海しばり、花しばり、手紙しばりなどのモチーフや、
僕らの思い出が順番に入っていて、最後は告白になっているとか)
どんな曲順が、展開に気持ちいいか。
これの次にこれがきたとき、気持ちはどう変わっていくか。
静かな曲のあとにはげしい曲を入れて気分を盛り上げていったり、
はげしい曲をつなげて、一転スローバラードで聞かせたり、
あるいはこれのあとにこれが来ればこういう意味になるだろう、
などを予測したり、
ここでこの曲か、ニクイ選曲だね、とニヤリとさせることを狙ったり。
それを必死で、
「最初から最後までつながった、リアルタイムで聞くひとつのもの」
にまとめていた。
一番の大敵は、「途中の退屈」である。
今みたいにデジタルコピーをするのではなく、
一方を録音状態で操作しながら、一方を再生し、
シームレスにするか数秒あけるかしながら、全ての曲をリアルタイム時間ダビングする。
一発OKだとしても、45分テープや60分テープなら、
実時間(+デッキ入れ替え時間と頭出し時間)がかかる。
そして、頭から聞いた時にものすごくミスが見つかる。
一曲目の頭が切れてるとか逆に遅いとか、
間の無音が長いとか短いとかの技術的ミスであることもあるし、
この曲の次にこの曲はないだろ、と聞いてみてはじめて分かる不満だったりする。
それを、繰り返し繰り返しミスがなくなるまでやるので、
一日がそれで潰れたものだ。
しかし、その試行錯誤の膨大な時間が、
結果的に編集能力を鍛えたのである。
今みたいに、再生側がチャプターで飛ばすのは常識ではない。
だから、あるものの次にあるものが来たら退屈になるとか、
テンションを最初にあげすぎると後半持たないとか、
「最初から最後までつながったもの」をつくる経験を、
繰り返し強制的に、うまくいくものが出来るまで積んだのである。
失敗の代償が大きかったのもポイントだ。
重ね録りはアナログだから音質が下がる。なるべくニューテープに一発録りにしたい。
失敗すればまた一からである。
その恐怖が、
「事前に熟考する」「事前に詳細にイメージする」「事前にテーマを詰める」
ことを強制させたのだ。
出来上がってから、失敗したと言いたくない。
だから、失敗しないように、
「事前に詳細をイメージする」「事前に全体を俯瞰する」
「流れをつくる」「流れを把握する」という、
編集に絶対的に必要なイメージ力を鍛える必要があったのだ。
この訓練の強制が、「好きな子のためにカセットテープをつくる」
という行為にはあったのだ。
(しかも、観客を満足させるという、他者の客を想定している)
今のクリエイターは、一般的に編集が下手だ。
それは、カセットテープ編集の経験がないからではないか。
最初から最後までつながった流れとテーマをもつものを、
パーツパーツをつなげてつくる経験と、
それを何日も考え続けて予測する訓練を積んでいないのだ。
これらの訓練が出来ている者は、
あるものを見た時に、自動的に編集能力が発動するものだ。
ここをこういう繋ぎと流れにしたほうがいいのではないか、ということが。
脚本を書いていて、このような構成でいけるのかを判断したり、
リライトでブロックを入れ替えたり切り貼ったりする能力は、
この編集能力である。
編集に必要なことは、無限回の試行錯誤の体力ではなく、
繋ぐ行為の前に、完成形を既に作ることだ。
流れを頭の中で作り終える事だ。
それをひとことで構成力といったりする。
「ベストアルバムの編集」なんかもその能力を鍛えたものだ。
暇なら、そんな編集をやってみて、構成力を鍛えてみてはどうか。
2014年08月29日
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