シナリオでは、行動の主語はその人の名前だ。
省略しても文脈で分かるときは省略する。
太郎は花子の肩に手を置く。
太郎 「君の力が必要だ」
と、花子の肩に手を置く。
太郎 「君の力が必要だ」
花子の肩に手を置く。
などの表記だ。
とくに「と、○○する」は、「ト書き」の名称の語源だ。
この常識が小説では通用しない場合がある。
シナリオで、
太郎は花子の肩に手を置く。
花子はうなづく。
太郎は彼女に背を向ける。
という、特に何の不具合もない表現は、
小説ではよろしくない。
(シナリオは動詞を現在形で書き、
小説では過去形表記がスタンダードだ。以下それを遵守する)
小説ばかりではなく、日本語表現全般では、
「同じ表現を繰り返し使うのはエレガントではない」
という不文律がある。
太郎は花子の肩に手を置いた。
花子はうなづいた。
太郎は花子に背を向けた。
の表記は、普通しない。
「太郎は」を繰り返し使うのはあまり頭のいい表現ではないからだ。
(敢えて繰り返しのリズムを狙うときはのぞく)
一方シナリオではこの表現はごく普通だ。
動作の主体が分かることが最優先で、
その人物はその役名で呼ぶ。
役名が繰り返されているから、エレガントではないという慣例はない。
ふつうは、
太郎は花子の肩に手を置いた。
花子はうなづいた。
彼女に背を向け、…
などのように、「太郎は」を省略してゆくのが常套だろう。
普段シナリオに慣れている僕は、
小説を書くときにまずここでつまづくのだ。
ほほう、主体を繰り返さない表現の工夫か、と。
とりあえず三行目を、「太郎」にせず、
彼を修飾する語句に置き換えることを考えてみた。
花子を愛するこの男は、彼女に背を向けた。
などのように書き換えることが出来ることに気づいた。
つまり、描写をひとつこのブロックに足せるのだ。
無論、シナリオでこんなことはしない。
「花子を愛する太郎」は、芝居では表現出来ないからだ。
彼女を思う目、彼女にいとおしく触れる、など、
具体表現に置き換えて、ト書きに足すことは可能だ。
あるいは、役者がアドリブでその動作を足すこともある。
(そして彼女を愛しているかどうかは、以前の文脈で示すものである)
小説の文体は、
具体的芝居で表現すること以外を、書いてもよい。
我々脚本家からすると、目から鱗だ。
具体的芝居やモンタージュでどう表現するか苦心している我々は、
「繰り返さない、を利用する」ことがなかなか出来ないものだ。
小説を書いている人にはなんだ当たり前ではないか、
ということかも知れない。
しかしシナリオと小説の違いの話でこれを僕は聞いたことがないのは、確かだ。
小説の文体では、どこで描写をしても構わない。
シナリオより、遥かに自由だ。
逆に、シナリオ化出来る小説は、
なるべくこのような描写がメインでないものに限るのだろう。
2014年08月30日
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