2014年09月02日

吊り橋効果

有名な心理学の話。
危険をともにクリアすると、連帯感が生まれる。

男女に使えば好意や恋へ、
同性に使えば仲間意識や友情へ、
普通の関係を進めさせることができる。

できる、のは勿論劇中で、の話だが。


先日、はじめましての男三人で弾丸京都ロケに行ってきた。
そのうちの一人が新郎で、新婦の為に京都で陶芸を作ってくるサプライズビデオを、
結婚式で流すためだ。

つまり、男三人とは、
新郎(キャスト。面白ビデオにするため、全身常に柔道着)
仕掛人(この企画を計画した人。陶芸教室を見つけ、予約し、三人のスケジュール調整をした人。
現場ではタクシー代を払ったり、荷物を持ったり、周囲に気を配って撮影が邪魔になっていないかチェックする。
編集で面白くなってるかチェックする。いわばプロデューサー的立場)
俺(撮影と演出、京都で7年学生をやっていたので、現地コーディネートも含む)だ。

朝8時集合ミッドタウンロケ→東京駅ロケ→車中でも撮影
→昼頃京都着→清水寺ロケ→八坂神社→四条祇園近辺ロケ
→陶芸教室(東山の山奥)→四条鴨川で夕日に叫ぶ
→日没後まだ明るい時間を利用し、京都タワーロケ
→京都駅付近の某ラーメン屋にて乾杯、新幹線で東京戻り

という大冒険だ。
京都の人なら、日曜日の観光地でこれだけ回ることがいかに難しいか、
実感できると思う。

これだけの大冒険をすると、三人の男に連帯感が生まれる。
移動中にはなんとなくプライベートな話もするし、
一緒に汗を流し、一緒に走り回り、一緒に同じものをつくろうとすることは、
徐々に、道なき道を進みながら、
(危険はないけど。あるとしたらショボいビデオをつくってしまうこと)
なんとなく仲間になっていくのだ。



吊り橋効果の現れやすさは、非日常性だ。
吊り橋のドキドキに象徴されるが、
それは日常でなさそうなことでなければダメだ。
(山間部に住んでいる人は、吊り橋は日常だ。
その人たちは吊り橋ではなく、大都会や外国が非日常だろう)
非日常だから、場所が変わるのは絵的にも分かりやすい。
ロードムービーがなくならないのも、
非日常な場所を求めてのことだ。

日常の場所で非日常を起こす一番簡単なことは、
ある日会社にいくと机のなかから拳銃が出てきた、
などのように、非日常の異物に出会わせることである。
祭りは非日常だ。文化祭委員は、高校生男女にとっての吊り橋である。

いずれにせよ、適度な危険と非日常を、
やいやい言いながら体験することが、吊り橋効果を生むのだ。

この大冒険をつくることが、
第二幕のストーリーなのだ。


とくに、映画では、日常で起こる以上のドラマチックなことが起こる。
非日常のドラマチックさが、
現実より上だから、人はドラマを欲するのである。


さあ、あなたの脚本には、どんな吊り橋が準備してあるだろうか。
それをどうやってわたり終えるのだろうか。
わたり終えるまでの大冒険で、内的話は語られるのか。
登場人物同士は違いを乗り越え、チームとして一丸になるだろうか。

それを男女チームでちゃんと書けたら、
ラストは手を繋いだりキスしても、なんら不思議はない。
(ドラマの共演者がつきあいがちなのも、撮影という非日常があるからだ)

コンフリクトは、互いの違いのことだ。
それが一体化する過程、結果が、
連帯感や共感や、友情や恋だ。

それが人間同士の物語というものだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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