2014年09月05日

モチーフとテーマ:俳句の例

物書きたるもの、俳句のひとつやふたつ詠めて当然だ。
我々は俳句専門ではないが、
俳句史に残る出来ではない、言葉をあやつる遊び程度には、
俳句は詠めて当然である。

若手を集めて大岡塾なるものを開いている。
若手のありがちなこと。
テーマを思いついた時点で、モチーフの工夫に至らないこと。

今回の課題である俳句から、いくつかの例を。


今回の課題は伊藤園の新俳句形式とした。
伝統の俳句は季語が必要だが、
新俳句は季語が必ず必要なわけではない、とハードルを一段低くしている。
課題の意図は、詩的な心を身の回りに見つけることと、
それをどう表現に落としこむかだ。

詩的な心をテーマ、実際の575をモチーフだと呼べる。


ところが、若手(つまり表現の初心者)は、
テーマとモチーフを混同する。

一番あったものは、あるいいテーマを思いつた時点で勝ちと思ってしまい、
その表現に工夫が見られなかったタイプだ。
分かりやすく言うと、テーマをそのものズバリストレートに言っただけになる。

 この夜を 終えたくなくて もう一軒

二人の恋の駆け引きであろうか。
おそらく口説きにかかる微妙なラインの話だ。
もう一軒でももう一杯でも同じことだ。

しかし、これは男側からの目線でしかない。
女側から言う台詞ではない。
仮に女側からそう言うのだとしたら、ただの酒好きだ。
(その無理して酒好きを演じてるのならなかなかいいが、
そこまでこの句からは読み取れないので、深読みしすぎだ。
だとすれば、「背伸びしてもう一杯と粘ってみる」なんかになるかもだ)
むしろ、男の勇気のなさ、女々しさまで浮かび上がってきて、
シチュエーションや思い自体は面白いのだが、
表現(モチーフ)はイマイチだ。
そこで、こう書き直してみた。

 「散歩しよう」 終えたくなくて この夜を

女側から言われればドキッとするし、
男側から言うとしてもなかなかの勝負シチュエーションだ。
ちょっと公園にたどり着けば手ぐらいは繋げるかも知れないし、その先もあるかも知れない。
それはもう一軒飲むよりもさらに気分の変わることだ。

表現したい思い(テーマ)は同じだが、
シチュエーションや台詞(モチーフ)はより工夫されている。
同じテーマを表現する、より練られたモチーフになっている。
表現とはこういうことだ。
テーマを決めたら、それを最もドラマチックに表現するモチーフに工夫するのだ。
モチーフが先ではない。テーマありきだ。
テーマがぶれなければ、モチーフはいくら変えてもいいのだ。

元のバージョンでは、一人の内面の解説にすぎない。
あるテーマの分かりやすい表現だとしても、
それはベストの表現形式ではない。
新バージョンでは、その台詞の主や言われた側の表情を想像させる、
ヒリヒリしたリアルさや切実さがある。
概念ではなく、もっと人の近くにいる言葉だ。
これがベストの改変かどうかは置いておいて、
表現とは、テーマを説明する論文ではなく、
モチーフを楽しみ、そこからテーマを読み解く楽しさだ。

さて、ここまで解説して本人に真意を聞くと、
先輩と飲みに行って楽しかったときのことを詠んだそうで、
ずっこけた。
その程度は詩の心ではないと思う。
(詩とは何かということは難しいのでここでは踏み込まない。
ただ新旧での浅深の差があることは分かるだろう)


次の例。

 街中で 鼻にかかった 懐かしの香り(原句をやや改変)

字余りである。既にモチーフとしても形式から外れすぎだ。
言うまでもなく男子あるあるのひとつだ。
この表現では表現できていないが、
街中で好きだった女のシャンプーの匂いを嗅ぐと振り向くよね、
というテーマを描こうとしている。
シャンプーの匂いには、いわゆるプルースト効果がある。
長い髪の女とすれ違うとき、男はいつも少しドキドキするものだ。
しかし、そのドキドキやら、せつなさやらを表現するもの(モチーフ)にはなっていない。
ということでこう書き直してみた。

 懐かしい 髪の香りに ついていく

ストーキングではないが、そんな気持ちを詠んでみた。
男の習性のおかしみや哀しみも足された表現になったと思う。

この句の問題は、平凡なあるあるな点だ。
平凡なテーマなら、モチーフを工夫する、というのもひとつの表現だ。

その適切な例。

 罠のように 捕らえて離さぬ ベッドの魔力

寝起きあるあるを、罠という特別な表現をしてやったぜ、
というレベルが元のバージョンだ。
これを改変するのは腕がいる。例えばこうだ。

 起きれない 沈んで行くよ 起きれない

リフレインでループ感をつくってみた。
所詮は小笑いネタ(テーマ)なので、キレ良く笑えるべきだと思ったからだ。

次の例。

 話し声 白く溶けてく 冬の空

これはテーマを表現しきれずにモチーフが暴走した例だ。
作者に聞くと、女子高生とかが冬の朝登校する風景は美しく、
その話し声が白い息になっているところが美しいのだと言う。
言いたいこと(テーマ)は分かるが、表現されたモチーフは全くうまくいっていない。
白く溶けてく、という偶然かけた語句は、なかなかいい。
しかしその語句の良さが目立ちすぎて、
テーマを語ることを邪魔している。

こういう時の対処法は2パターンある。
この出来のいいモチーフを捨てて、元のテーマに戻るか、
この出来のいいモチーフを生かして、テーマを変えるかだ。

 白い息 自転車に乗って 走ってく

 告白も 出来ず白い息が 溶けて行く

両方のパターンを示してみた。
最初の例では女子高生かどうかは不明とした。
「冬の朝女子高生と白い息」ではただの変態だからだ。
代わりに、擬人法で文学的としてみた。
テーマが平凡なら、モチーフでテクニックを使う例だ。

次の例では、白い息が溶けていくことに、ひとつのドラマを足してみた。
モチーフは似たビジュアルだが、テーマが違うのだ。


本来、テーマがまずいいかどうかだ。
冬の朝に女子高生がきゃいきゃい言いながら白い息を吐いているさまは、
絵にはなるが詩ではない。
詩的でないことを詩的に書くことは、ある程度物理的に可能だが、
それは次善策に過ぎない。
まずはテーマがきちんとしてないと、本当はダメだ。

そして、テーマが良くても、論文でない限り、
表現の技巧でも楽しませるべきなのだ。
表現の工夫だけでも見るべき所をつくるのである。


テーマとモチーフは同じではない。
同じテーマを言うのに、モチーフはいくらでもあり得て、
よりベストなモチーフはいくらでも作り出せる。(今回のも添削例に過ぎない)
それが表現というものだ。

(9/5追記:どうも俳句のコピペ元がよくなくて、
五七五におさまっていない句があったようです。チェックしてなおしておきました)
posted by おおおかとしひこ at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック