ストーリーにおける、
流れとか、勢いとか、グルーヴとか、
目に見えないが、たしかにあるものを、
言葉で説明することは難しい。
しかし、詰まらないストーリーは必ず流れが停滞し、
面白くて夢中になるストーリーは必ず流れがいい。
そして、
書いていて詰まらなくなってくるストーリーは、
必ず流れが悪くなってくる。
(そしてついに、流れが止まり、書くということをやめてしまう)
ストーリーにおける流れとは何だろう。
弱くなった流れを再び勢いよくさせるには、どうすればいいだろう。
僕は、感情移入だと思う。
感情移入の最大のポイントは、動機だ。
その動機に感情移入しているから、
その動機に引き付けられるのだ。
引き付けられるから、ストーリーの進行が気になるのだ。
流れが悪いとは、その引き付ける力が弱まっていることなのだ。
流れが悪くなったら、
動機をチェックしてみよう。
その場にいる人の動機を、リストアップしてみよう。
それが観客側がちゃんと把握しているかを考えよう。
(謎の動機など、わざと伏せておくものはのぞく。
その場合、表面上の動機があるものだ。それもリストアップする。
物語に登場する人で、動機のない人はいてはならない。
いるのなら、それは背景である)
その動機群が平凡なら、あまり流れがよろしくない。
よくあるものなら、よくある流れだということだ。
平凡は物語の敵だ。
これを、非凡にすることだ。
非凡は、エキセントリックにすることでもいい。
一番は、「切実にすること」だと思う。
その動機に、切実さを足すのだ。
理性で行動している動機に、感情を加えるのだ。
他のことは、あるいは自分はどうなってもいいから、
これをしたい、という感情を加えるのだ。
それには、事情や過去を足したほうがいいかも知れない。
例えば好きな人(恋人や家族や一族)の為にとか、
信条の為とか、締め切りや秘密がある、などがポピュラーだ。
それ以外に独自の切実さを発明してもいい。
あなたは何に切実さを感じるかを観察するといい。
それを、退屈になってきた場面に投入するのではなく、
退屈になりかけている辺りか、
それ以前に投入するとよい。
それがあれば、一文字も直さなくとも、
その場面が急に生き生きする。(編集の力である)
実際には、その切実さに合わせて、
その場面が更によくリライトされていく。
投入するものが、再設定の台詞一言なのか、
小エピソードなのか過去話か、
大元のセットアップまで戻るかはケースバイケースだ。
とにかく、より心に刺さるような、
切実さに動機がなっていればよい。
それがどうなるのだろう、がハラハラすることだ。
ハラハラこそが、流れということかも知れない。
前項の俳句の添削の例では、切実さの方向へリライトするパターンが多かった。
つまり、通り一辺倒の文は、人はどうでも良いのだ。
切実さは、人を振り向かせて引き付ける、ひとつの要素かも知れない。
例えば、道行く人に突然、
「僕はいまからこの子に告白します! 成功なら拍手を!」
と宣言して告白する男がいたとする。
そこまでするその追い込まれた切実さに、
思わずその結果が気になるものだ。
失敗したら頑張れよと思うし、成功なら拍手だろう。
それは、そこまでするほどの切実さに、感情移入したからではないか。
ただの告白なら、流れは生まれない場面に、
このようなものを足すとよい。
(ちなみにこの道行く人に大声で、と言うのは、
そう言われたら落ちるかも、と言った某モデルさんの実話だ。
面白いのでメモっておいた。メモはこういうときに使う)
その切実さは、それこそ通り一辺倒ではないものを、
発明するべきだ。
その切実さこそが、創作なのかも知れない。
2014年09月07日
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