2014年09月07日

「流れ」をちゃんとつくる方法

ストーリーにおける、
流れとか、勢いとか、グルーヴとか、
目に見えないが、たしかにあるものを、
言葉で説明することは難しい。

しかし、詰まらないストーリーは必ず流れが停滞し、
面白くて夢中になるストーリーは必ず流れがいい。
そして、
書いていて詰まらなくなってくるストーリーは、
必ず流れが悪くなってくる。
(そしてついに、流れが止まり、書くということをやめてしまう)

ストーリーにおける流れとは何だろう。
弱くなった流れを再び勢いよくさせるには、どうすればいいだろう。


僕は、感情移入だと思う。
感情移入の最大のポイントは、動機だ。
その動機に感情移入しているから、
その動機に引き付けられるのだ。
引き付けられるから、ストーリーの進行が気になるのだ。

流れが悪いとは、その引き付ける力が弱まっていることなのだ。


流れが悪くなったら、
動機をチェックしてみよう。
その場にいる人の動機を、リストアップしてみよう。
それが観客側がちゃんと把握しているかを考えよう。
(謎の動機など、わざと伏せておくものはのぞく。
その場合、表面上の動機があるものだ。それもリストアップする。
物語に登場する人で、動機のない人はいてはならない。
いるのなら、それは背景である)

その動機群が平凡なら、あまり流れがよろしくない。
よくあるものなら、よくある流れだということだ。
平凡は物語の敵だ。
これを、非凡にすることだ。
非凡は、エキセントリックにすることでもいい。

一番は、「切実にすること」だと思う。

その動機に、切実さを足すのだ。
理性で行動している動機に、感情を加えるのだ。
他のことは、あるいは自分はどうなってもいいから、
これをしたい、という感情を加えるのだ。

それには、事情や過去を足したほうがいいかも知れない。
例えば好きな人(恋人や家族や一族)の為にとか、
信条の為とか、締め切りや秘密がある、などがポピュラーだ。
それ以外に独自の切実さを発明してもいい。
あなたは何に切実さを感じるかを観察するといい。

それを、退屈になってきた場面に投入するのではなく、
退屈になりかけている辺りか、
それ以前に投入するとよい。
それがあれば、一文字も直さなくとも、
その場面が急に生き生きする。(編集の力である)
実際には、その切実さに合わせて、
その場面が更によくリライトされていく。

投入するものが、再設定の台詞一言なのか、
小エピソードなのか過去話か、
大元のセットアップまで戻るかはケースバイケースだ。

とにかく、より心に刺さるような、
切実さに動機がなっていればよい。
それがどうなるのだろう、がハラハラすることだ。
ハラハラこそが、流れということかも知れない。

前項の俳句の添削の例では、切実さの方向へリライトするパターンが多かった。
つまり、通り一辺倒の文は、人はどうでも良いのだ。
切実さは、人を振り向かせて引き付ける、ひとつの要素かも知れない。


例えば、道行く人に突然、
「僕はいまからこの子に告白します! 成功なら拍手を!」
と宣言して告白する男がいたとする。
そこまでするその追い込まれた切実さに、
思わずその結果が気になるものだ。
失敗したら頑張れよと思うし、成功なら拍手だろう。
それは、そこまでするほどの切実さに、感情移入したからではないか。

ただの告白なら、流れは生まれない場面に、
このようなものを足すとよい。

(ちなみにこの道行く人に大声で、と言うのは、
そう言われたら落ちるかも、と言った某モデルさんの実話だ。
面白いのでメモっておいた。メモはこういうときに使う)


その切実さは、それこそ通り一辺倒ではないものを、
発明するべきだ。
その切実さこそが、創作なのかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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