2014年09月08日

場面しか思いつかない

というキーワードで検索して来てくれた人がいるようで、
これは脚本を書く上での初歩的な悩みだと思うので、
初心者諸君に向けて書いてみる。

場面を思いつくのは、一種の才能だから自信をもっていい。
良さげな場面がバンバン出てきて、
内容にワクワクするのはとても楽しい。
しかし、それは「作劇の才能」とは違うものであることを知ったほうがいい。
それはどちらかというと監督の才能であり、
ストーリーテラーの才能ではない。

あなたが場面しか思いつかないのなら、
使っている脳味噌の部分がまるで違う。
ひょっとしたら、あなたには脚本家の才能など欠片もないかも知れないことを覚悟せよ。
(使ったことがないだけで、凄い才能が眠っている可能性も、ある)

では、脚本やストーリーとは、
場面を思いつくことではなく、何を思いつくことなのか。


事件とその解決法だ。

よくある事件を、見たこともない面白いやり方で解決する方法を思いつくか、
見たこともない事件を、よく見る方法で解決するか、
見たこともない事件を、見たこともない方法で解決するやり方の、
どれかを思いつくことが、
ストーリーを思いつくということだ。

事件と解決法のペアを、ベスト映画10や50で、
列挙してみるとよい。
テンプレは見ずに、
「あなたがこの物語の事件だと思うこと」を、
あなたの言葉で書き、
「あなたがこの事件の解決法だと思うこと」を、
あなたの言葉で書こう。

あなたがあなたの見方を確立するために、
これはやっておくべき修行だと思え。

10本以上30本もやってみると、
「事件と解決法で映画を見る」という見方が出来るようになってくる。
そうすればしめたものだ。
今後どんな物語を見たとしても、
その物語の事件と解決法だけを抽出出来るようになる。
(テレビニュースでは、事件だけの報道もある。
解決とは大抵裁判による判決だ。現実の事件は、なかなか解決を見ない。
だからこそ、人は解決というカタルシスを得るために物語を見る)

事件と解決法のペアで物語を見るようになると、
オリジナルの事件と解決法を考えたくなる。

これがストーリーを考えるということだ。


まだ場面はない。
どんな事件か、という場面を思いつくかも知れない。
例えば猟奇殺人。例えば恋に落ちる。例えば転校生。例えば宇宙侵略者。
場面が思いついたとしても、それはメモするだけで、
執筆まで置いておく。
今後いかなる構想中にも、色んな場面は思いつくが、それもメモに置いておく。
まだ見なくていい。

事件とその解決は、場面ではなく、理屈だ。
何故こんな事件が起こったのか。
原因は何か。
それを、どうしたら解決したことになるか。
その理屈を考え出すことが、
事件とその解決法を考えつくことだ。

よくある事件なら、よくある解決法がある。
殺人事件なら、動機などから犯人を割り出し、トリックを暴き、アリバイを崩し、逮捕する。
恋なら、少しずつ近づき、仲良くなり、心の奥底に触れ、秘密を明かし、体に触れ、告白する。
古今東西の映画は、事件をどうやって解決していくかだ。
そのやり方を観察しよう。
パクるためにではない。先人の工夫を知るためだ。

その事件が何故起きたのか。
その原因を究明し、困ったことをどうしたら解決したことになるか。
その方法は。
解決の為に立ちはだかる障壁は。
その困難を突破する方法は。

その工夫が、ストーリーだ。


そこにはまだ場面はない。
思いついたとしても、メモにしておき、
解決への理屈に影響させてはならない。

事件発生から解決までの一連の流れ、
つまり、何故起きてどう解決としたか、
その理屈の糸がストーリーだからだ。


「ロッキー」の例を。
事件は、世界戦がロッキーに降って沸いたことだ。
解決法は、世界チャンピオンに勝つことだが、
それはどう頑張っても難しいことだ。
そこで世界チャンピオンに勝つことではなく、
最終ラウンドまで戦い続けることが、
解決法となる。
世界チャンピオンになることが真の解決ではなく、
「俺はちっぽけなチンピラじゃないってことを、
世間に証明する」ことが、本当の解決だからだ。

これがロッキーのストーリー(正確にはメインプロット)の、
理屈である。

ストーリーを思いつくとは、これを思いつくことだ。

これが出来てはじめて、場面を思いつくのだ。
たとえば、
「世界戦が降って沸いた」場面をどう描くかを考えるのだ。
テレビニュースで突然知るのか。
ミッキーが電話を取るのか。
本人が電話で知るのか。
実際はそのどれでもない。
本人がスパーリングパートナーだと勝手に誤解して事務所に出向いた、
その相手の事務所で明かされる場面だ。

実際、僕はこの場面がベストだと思っていない。
もっとドラマチックな場面に描く方法は沢山ある。
しかしストーリーは、理屈であり場面ではない。
「世界戦が降って沸いた」さえ描ければ、
ここでは最低限の役目は果たす。
この場面がベストでなくても、他のいい場面を描けば構わない。
(実際、ロッキーの中の名場面は、そこではなく、
エイドリアンがらみ、ミッキーがらみ、ポーリーがらみだ)
トータルで勝てればそれでよい。

あなたがストーリーを考える前に思いついた場面は、
ストーリーの為に流用できることもあるが、
大抵はうまく嵌まらない。
当たり前だ。
場面とは、ストーリーを現す為にあるからで、
場面を現す為にあるのではないからだ。


場面を思いつく才能はとてもいいことだ。
しかし、それ以上に、あなたはストーリーを思いつくべきなのだ。
ストーリーを思いついてから、
それを最もドラマチックに現せる場面を思いつくべきだ。

つまり、場面を先に思いつくのは、
脚本を思いつくことではなく、
むしろストーリーを思いつくことへの害になる。



場面場面を思いついて、それをストーリーで繋げば映画になると思っている人は、
そのやり方で何本も名作を書いてから言って貰おう。

そのやり方は間違ったやり方であり、
その癖をつけたら、多分こっちのやり方をマスター出来ない。
手遅れだ。その先の代表的な作家はキリヤだ。
頑張って矯正するしかない。


まず、事件とその解決法とその理屈。
(それは絵でなく文字だけでのみ表現できる)
次に、それをドラマチックに表現できる場面。
その順に思いつく訓練をすること。

恐らくそれでしか、物語は書くことが出来ない。
何故なら、物語とは、
「場面を見てそこにどんなストーリーの糸があるかを読み取る」
楽しみだからだ。
場面が先にあるのではなく、ストーリーが場面で現されているのだ。
posted by おおおかとしひこ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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