では、実際の脚本家の頭の中には場面はないのだろうか。
脚本家の頭の中は、理屈だけなのだろうか。
いや、頭の中に場面はある。
しかし、ストーリーが先にあるだけで、
それに付随して、絵本の挿絵のように、一枚絵が浮かぶのだ。
プロットを練る段階では、そのような一枚絵が浮かぶこともある。
それでシーンを記憶して「場面」とし、
それらを並べることで全体のイメージをつかむことはよくある。
場面は静止画だが、意味は動画だ。
つまりサムネイル代わりに使うのだ。
また執筆中は、頭の中に映像が浮かび、
それを記録するように書いていくこともある。
それは「場面」をリアルタイムで動かしているような感覚である。
小説では特に三次元空間がリアルタイムで動くような、
時間軸を付加した四次元空間をイメージすることもある。
映画が視覚芸術であり、お話が世界での体験である以上、
頭の中に視覚イメージが湧かないことはありえない。
しかしそれは、お話の正体ではない。
2014年09月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック