2014年09月11日

感情移入の国民性

何かで読んだ話なのだが、
日本人は、「辛いことがあったり、喪失をした人」
に感情移入する傾向があり、
アメリカ人は、「そこから立ち上がる人」
に感情移入する傾向があるそうだ。

日本人の感情移入のベースは同情であり、
アメリカ人の感情移入のベースは、USA!USA!USA!である。

そりゃ、太平洋戦争も負けるわな。


感情移入には、
いずれにせよ最初の同情が入り口になる。

日本人はそこから立ち上がらなくても感情移入出来る、
つまりメソメソしててもいいが、
アメリカ人はメソメソしているだけではチキン呼ばわりする、
ということだろう。

だから、日本人の書く物語では、
メソメソしている人に、誰かが助け船を出す話になる。
(これがメアリースーを生みやすい)
助け合いや和の社会である、とも言えるが、
実行力がなく、行動しない人間を生みやすいとも言える。
あるいは、周囲をまず見ないと何も決められない人の国とも言える。

日本人には行動力がない、決定力がない、
という国民性は、感情移入ひとつとっても見ることが可能である。

逆にアメリカ人は、まず行動する人に魅力を感じ、
自分と一体化しやすいということになる。
スピーチはその為に発達した文化でもある。
(逆に、日本人は自虐的なスピーチが得意なのではないか)

このあたりに、日本映画とハリウッド映画の根本的な差があるような気がする。
だからと言って、日本映画が全部ハリウッド映画に置き換わっていいとも思えない。

我々は単純に、
同情を上手く引いて、行動する主人公を作ればいいだけの話だ。


(じゃあ中国人は、フランス人は、などと考えたくもなる。
それが各国の文学の違いでもあるかも知れない。
アメリカ人の小説を読むと、いつもハリウッド映画を見たような気になるものだ。
フランス人の小説を読んだことはないが、フランス映画的かもね)
posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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