これまでの話を総合すると、
以下のような書き方が、
効率的、合理的ではないだろうか。
まず、プロットを論理で書く。
なぜその事件が起こったのか、
なぜその行動を取るのか、
なぜその選択肢は選ばないのか、
その結果何が起こるか、
何が決定的理由か、
そしてそれはどうすることが解決で、
解決できたのは何故か。
これらの問いにきちんと答えられるような、
理屈をつくっておく。
全ての登場人物の行動原理は、
立場から来る、あるいは個人的な理由の上での、
殆どは理性的な行動だ。(感情がそれを破ることもある)
その人特有の理屈の場合もあるが、
殆どは、「その立場なら誰もがそうするだろう」というレベルの、
ごく普通の判断で動く。
その、複数の人物の行動と結果の絡み合いが、
ストーリーラインを生み、プロット全体を形成する。
これは理屈だから、誰もが納得する理由がなければならない。
疑問に思う部分があったら、いくらでも答えるべきだし、
必要なら作中に分かるように入れるべきだ。
腑に落ちた、とか、わかった!というストーリーの部分、
をつくることが、ここのパートの役目だ。
感情的な部分は排しておく。
勿論キャラが生き生きし、行動の理由が強い感情であることや、
強い執着などは、プロットの上でも重要だが、
その時の感情は、まだあなたの感情ではなく、
他人の感情ぐらいの距離感を保つべきである。
キャラにあなたが感情移入してはならない。
キャラを好きになっても駄目だ。
あくまでこの段階では、お話の理屈を組み立てるのだ。
理屈は、いくらでもリライト可能である。
こういう理由で行動した、を、ああいう理由で、
にするには、そこに障害があったから、
とか、実はこういう事情があっあから、
などに変更することは難しくない。
人の行動や事件の解決法が、理屈ですすむ限り、
それらの理屈のディテールを微調整すれば済むことだ。
それが、矛盾がなく、
スッキリする話になったら、プロット段階の終了だ。
ここからは、感情の出番である。
登場人物の感情をつけ加えていく。
理屈ではこうだが感情ではこうだ、
などもつけ加えてよい。
(あくまでプロットを崩さないように。
プロットを強い感情が崩すのなら、
矛盾が生まれないようにプロットに戻ること)
全ての理屈を、登場人物の感情に置き換えていく。
たとえ論理的合理的理由の行動だとしても、
それをその人物がどういう感情でとらえているかをつくっていく。
人間の心は、感情だ。
論理くそ食らえだ。
論理的に動くやつは、冷たいやつやずるいやつだ。
その一般的な感情を持って考えればよい。
ときに論理的なことが一番であることも、
大人なら知っている筈だし。
その感情を、単なる他人の感情なのではなく、
切実さを足そう。
他人がそう思うのではなく、
あなたがそう思うように。
完全に他人の立場、論理だったものに、
ここでようやく魂が入るのだ。
彼(または彼女)が傷つけられたのは、
いつ、どこか。
そのリアルな感情を足していく。
その為に設定を追加してもいい。
(プロットと矛盾するなら、矛盾しないような設定に変更するか、
プロットを変更するかだ。後者は難しいので、前者だろう)
全員(主要登場人物5、6人)が生き生きしてきたら、
ようやく執筆だ。
ここまでが、「構想」だ。
面白い話というのは、
登場人物に魅力があり、
話が面白いものを言う。
この二つの段階で、それを用意したことになる。
ちなみに、一端感情の流れが出来てしまうと、
それをリライトすることは難しくなる。
理屈と違い、感情(執着)はリライト出来ない、
と考えるほうが健康だ。
感情をリライトするなら、
全く別の感情からはじめて、第二段階をまた一からつくることを考えたほうが、
よいリライトが出来る。
まだ実際の原稿は一文字も書いていないが、
プロット、登場人物表、ストーリーライン、
重要なターニングポイント、などはメモにあるだろうし、
ブレイク・シュナイダーのボードなどもつくってあるかも知れない。
ここまで準備しないと、書きはじめてはいけない。
書くことは、アドリブの演劇をするようなものだ。
やりはじめたら止まらないものだ。
逆に、これから何も見ずに、
アドリブ演劇を出来るようになるまで、
構想は準備するべきなのだ。
時間の9割は構想だ。
執筆なんて、数日で終わるのが理想だ。
最近僕はこういうやり方に収斂してきた気がする。
人間は、論理的存在でもあり、感情的な存在でもある。
人間たちも、論理的存在であり感情的な存在だ。
それが、ある事件から解決までを描くのが、映画だ。
2014年09月12日
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