2014年09月13日

あなたは鋭すぎるし、鈍すぎる

あなたが作家の才能があるとしたら、
何か突出したものを持っているからだ。
それは大なり小なり自覚すべきだ。
それは、世間からすると、ずれている。


あなたは鋭い感覚を持ち、誰も気づかない何かに気づくことが出来る。
しかし、その間、世間は別のことをしている。
そのことにあなたが俯瞰出来ない限り、
あなたは鈍い人だ。
世間が考えることを、そのとき考えていないからだ。

あなたが鋭くなればなるほど、逆説的に鈍くなるのだ。

過去(数年前でいい)のメモなどを見るといい。
凄い鋭さもあるけど、とんでもない所に気づいていなかったりする。
(8年ほど昔のメモを漁っていて、気づいたのだが)
天才と馬鹿は紙一重というのはそういうことだ。

天才は、その天才部分を理解できない人から見ると、
馬鹿の部分が目立つのだ。

何が言いたいかというと、
たまには世間の見方(たとえば大阪のオバチャン目線)で、
自分の作品を見返すことも大事だということ。


「はじめの一歩」の宮田の話で、
「尖った鉛筆は折れやすい」というやつがある。
あなたの鋭い所が折れたら、あとは鈍い世界が残るだけだ。

リライトでは、往々にしてそれが起こる。
大抵鈍い世界を普通にするだけで終わってしまう。
ディテールの鋭さではなく、根本的に鋭ければ、
そういうこともなく全ボツだが。


鋭い所はあなたの長所だ。
それがどうして鋭く、良いのか、
ある程度馬鹿にも説明出来るようにしよう。
民放テレビの解説は、偏差値40を基準としているそうだ。

天才ほど「見ればわかるだろ」と思っている。
それは自信の現れでもある。
自明だから良いものに、説明をつけるのは野暮だから。


しかし、相手が大阪のオバチャンではそうはいかない。
何が鋭くて良いところなのか、
あなたなりに真摯に答えることも考えよう。
それは、企画書を書くことであきらかになることが多い。

鋭い所が共有されないのなら、
あなたの作品は、単なる鈍い作品と思われているかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック