台詞が下手な人を見ていると、
例外なく話下手だ。
この場合の話下手とは、
創作的な話をつくることではなく、
リアルの場での(飲み会とか、雑談)話である。
その場をドッカンドッカン沸かせろ、
とは言わない。
しかし、スムーズなコミュニケーションをとり、
時には冗談で沸かせ、
時には自分の考えや蘊蓄で感心させ、
時には議論に発展する、
そのような、リアルな話の上手になるとよい。
リアルな話では、聞き役と話し役がいて、
それは時に応じてかわる。
あなたはどちらの役もするべきだし、
話を被せたり、持っていかれたりの経験を積むべきだ。
話し慣れた人だけでなく、
初めましての人前でも、上手く話を盛り上げることが必要だ。
勿論あなたは飲み屋のママではないから、
どんな人とも自在に喋れるまで鍛えなくともよい。
肝は、話の場には、「今大事なこと」があり、
それは簡単に流れたりキープされるということだ。
そしてそれは、簡単な言葉や身振りで、
変えることも出来るし、出来ないこともある、
を知ることだ。
勿論知るだけでなく、あなたが出来るようにする必要がある。
経験的に、一人っ子はこれが苦手である。
自分中心の話しかせず、他人の話を聞かない。
(中国人がこれだけ身勝手なのは、B型文化のせいもあるが、
一人っ子政策の結果だと僕は思っている)
そういう人は社会で揉まれたほうがいい。
バイトしたり、飲み会をしたり、上司と話したりなどだ。
俺はどんな場でも、ある程度話が出来る、
という自信が出来ないと、
いつまでたっても台詞に不安が残るままだ。
人はこのように話す、
人はこのように話題を変える、
人はこのようにも話す、
などを体感的に知らない限り、
あなたの台詞は、いつまでたっても脳内の妄想でしかない。
脳内の妄想こそ、至高の台詞を生む。
しかし、現実は脳内の妄想ではない。
その間の、雑談の経験が、
脳内と現実を繋ぐのだ。
さあ、飲み会をしよう。みんなで飲もう。茶でも酒でもよい。
めんどくさくても人の話に付き合い、
その話の主役を奪ったり、奪われたりしよう。
場を沸かせたり、場を沸かされたりしよう。
出来るだけいつもの面子に固定しないこと。
何故なら、物語では、固定面子よりも、
初めましての人と話す場面のほうが多いからだ。
我々は人見知りの人種である。克服は出来ない。
それでも、話は面白くなくてはならない。
あなたの喋る言葉の質が、
実はあなたの書く台詞の質なのだ。
あ、キャバクラは駄目。
向こうは詰まらなくてもニコニコして聞いてくれる。
もっと対等の関係でないと駄目だ。
(リハビリの中間過程としては、よいかもだが)
例えばある飲み会に来てよとか、
皆の前で話をしてください、
に嫌だなと思ううちはまだまだだ。
自分の話の能力を鍛える場、活かす場だと思って赴くのがよい。
ちなみに、台詞は書けば書くほど上手くなる。
話をすればするほど話が上手くなるのと同じように。
何故なら、台詞は話し言葉だからだ。
2014年09月13日
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