ラストシーンを最初に書く。
何故なら、こうだったからだ。
その前にあったことを書く。
くりかえして、ファーストシーンへ戻る。
こういう逆算をつくってみよう。
途中で詰まるなら、どこかの理屈の糸が途切れている。
物語が順接で繋がれていない証拠だ。
簡単な桃太郎で理解してみよう。
迷惑な鬼達は退治され、村に平和がもどった。
鬼達が奪った宝も取り戻された。
何故なら、桃太郎と家来が鬼を退治したからだ。
鬼退治では、桃太郎達は大活躍した。
何故なら、桃太郎は強く、家来たちは桃太郎に従順だからだ。
家来たちは吉備団子で桃太郎に仕えることになった。
何故なら、吉備団子が美味しかったからだ。
桃太郎はお婆さんの吉備団子を携えて、鬼退治に向かうことにした。
何故なら、強く育ったからだ。そして、鬼たちが迷惑だったからだ。
桃太郎は強く育った。
何故なら、お爺さんとお婆さんの愛情を受けたからだ。
しかも、桃から生まれたという不思議な出自を持つからだ。
桃太郎は桃から生まれた。
何故なら、お婆さんが川で拾って割ってみたからだ。
さて、このように逆から見ると、不自然な箇所がある。
吉備団子で従順を誓う部分だ。
動物が飼い慣らされた、という理由ではちょっと弱い気がする。
吉備団子で象徴される、吉備の国の領地ではないかと想像される。
犬猿雉は、動物ではなく賤民(または異民族)と考えると辻褄は合う。
それを、動物を美味しい団子で飼い慣らす、
という象徴表現にしているのではないかと分かる。
更に、そもそも桃太郎はどこから来たのか、についても疑問は残る。
が、答えはないので追求のしようはない。
(貴種流離譚の型のひとつではある)
このように、逆から見ると、
理由が弱いな、という部分が分かるようになる。
全ての行動や発言には動機がある、
ということは頭では分かっていても、実践出来ている保証はない。
自分の中では当然でも、
観客が何故そうなるのか分からなくなるのは駄目な話の証拠だ。
それを、作者がそうしたいから無理にでもそう展開した、
ご都合主義という。
自分のストーリーでこれをやってみると、
ご都合主義を炙り出すことが可能だ。
ん?何でだ?
そうか、いや、ちょっと無理がないか?
というチェックに敏感になろう。
そこはあなたのストーリーの弱点である。
例えば今の桃太郎の例では、
家来になる所が上手く行けば、
鬼ヶ島での家来たちの活躍もサブプロットで面白く話せるかも知れない。
そこはファンタジーだから、と逃げるのは勝手だ。
アニメや漫画や小説やラノベやゲームなら、
そこはファンタジーだから、と言っても逃げ切れるかも知れない。
しかし映画は実空間での人間の実写だ。
無理があるところは、ニュアンスだけでもばれてしまう。
そこが実写の難しくも面白いところなのだ。
(逆にそこをすっとばすのがアニメなどのデフォルメの面白さだ)
ついでに、僕がよく分析に使う「ロッキー」で見てみよう。
ロッキーはもうちっぽけなチンピラじゃないことを、世間に証明できた。
愛する女の名を叫ぶ、一人の男であることを。
何故なら、アポロとの試合で最後まで倒れず、
試合には負けたが勝負には勝ったからである。
最後まで倒れなければ俺はチンピラじゃねえと言えると思う、
とロッキーはエイドリアンに言った。
何故なら、試合前の会場に行ったら、
自分のトランクスの色を間違えられていて、
誰もお前の事なんか気にしちゃいねえと言われたからだ。
ちなみにエイドリアンはロッキーと同棲中だ。
何故なら、兄ポーリーと喧嘩して家を出たからだ。
兄ポーリーは広告費を取ってきてロッキーと仲直りした。
何故なら、妹エイドリアンのことで喧嘩して、
ロッキーが思わず殴りそうになってしまい、
気まずくなったからだ。
そもそもこれはポーリーがテレビ局を勝手に特訓現場に呼んだことが悪い。
ポーリーはこれを機会に自分も金儲けをしたかった。
何故なら、誰もがこの街では惨めに暮らしているからだ。
そもそもこの特訓は、ポーリーの働く肉倉庫ではじめたことだ。
親方に黙ってポーリーはいつも肉をくれた。
何故なら、ロッキーの親友だからだ。
ミッキーをトレーナーにつけ、本格的にトレーニングをはじめた。
何故なら、彼も全盛期をもう一度やりたい男であり、
ロッキーには全盛期すらなかったからだ。
二人の挑戦は、惨めな男達が這い上がることだ。
ミッキーはロッキーを才能はあるのに時間を無駄にした男だと思っていた。
ロッキーの本心を知って協力する気になった。
何故なら、ロッキーの言動はいつも適当だったからだ。
試合へのテレビ局のインタビューでロッキーは、
「エイドリアン見てるか?」と無邪気に言った。
しかしそれを馬鹿にされた。
自分のやってることの小市民さにはじめてロッキーは気づいた。
何故なら、なんとかなると勝手に思っていたからだ。
ロッキーは世界戦のオファーを受けた。
何故なら、なんでもいいから金が欲しかったからだ。
エイドリアンはロッキーと結ばれた。
何故なら、ロッキーがずっと自分の事が好きでいてくれて、
今日は感謝祭の日で、彼に魅力があったからだ。(ここは少し弱い)
ロッキーはエイドリアンとデートにいった。
何故なら、今日は感謝祭の日で、
本当は引退したいことを彼女に聞いて欲しかったからだ。
アポロの対戦相手がロッキーに決まった。
何故なら、アメリカンドリームマッチと称して、
ランキング外のボクサーにも夢を与えようとアポロが言ったからだ。
そもそもの対戦相手が怪我をし、今更試合中止出来ない苦肉の策である。
ロッキーが選ばれたのは、イタリアンスタリオンという、
イタリアの種馬のキャッチコピーの語呂合わせをアポロが気に入ったからに過ぎない。
ロッキーは引退を考えている。
何故なら、若い売れっ子のボクサーに自分のロッカーを取られ、
自分の居場所がなくなり、ミッキーにも呆れられているからだ。
ロッキーは今日もエイドリアンの所へ通うが、
相手にされていない。
ロッキーは中学生を送って帰るが、馬鹿にされている。
ロッキーはイタリアマフィアの借金取りのバイトをしているが、
相手に同情して指を折れなかった。
何故なら、ロッキーは小さなチンピラだからだ。
エイドリアンがロッキーと結ばれたパートがやや弱いことを除いては、
優れて全ての理屈が無理なく通った、素晴らしいプロットだ。
逆に、このような逆算をすると、
エイドリアンのパートの謎さが残る。
(ただ女性的感情から見れば、ロッキーが服を脱いで若い肉体を見せたり、
エイドリアンのメガネを取って素顔を見られることは、
何かグッと来るものがあることはありそうだ。
そもそも男女のことは理屈ではないのだが、
映画の中ではやはり理由が欲しいところだ)
いい物語は、逆算してもいい物語になっている。
それは、理屈がきちんと通っているからだ。
ご都合主義は、この真逆のことである。
僕がよくプロットとは理屈だ、
というのは、こういうことを含んでいる。
2014年09月19日
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