脚本は、直せば直すほどよくなる。
良くならないのは、直すのが下手だからだ。
それが「完成」だと思われるのはどういう道筋があるのだろう。
勿論作品によってそれは全く違うのだが、
大きく見てみよう。
まず、脚本家一人だけの中での完成だ。
最初に書き終えた原稿を、おおむね第一稿とよぶ。
書き終えた直後は、一仕事終えた満足感と、
世界から離れる寂しさと、主人公が何かを達成した感じを味わうものである。
その読後感こそ、作品の一番大切な空気だから、
今後のリライトにおいて、それを保つようにするべきだ。
(内容を変えたとしてもそれを保てるのが、
リライトの実力と言うものだ)
少し作品から離れるのをすすめる。
最低三日以上、出来れば一週間、さらに出来れば一ヶ月。
自分が自分の興奮から離れて賢者になれる期間を、
知っておくことは重要だ。
それから、自分の中でのベストの稿を書き直す。
たいてい、ちょいちょい直したくなるからだ。
経験上、頭から尻まで、文や部分を直したくなる。
それらが計2、3回はループする。
(このため、僕はファイルにナンバーをふる)
自分の中でのベストが、
外に出す(正式な)第一稿である。
まずこれを完成させよう。
次のリライトは、他人とのやり取りで行われる。
プロデューサーや、製作委員会とのすり合わせだ。
内容、キャスト、構成、テーマ、
すべてに至って、直しの要求があるものだ。
同意出来ない要求をされることもある。
(例:ヒロインは剛の字がつく人で。
CG費は半分に削ってください)
あるいは、最初の段階ではビジネスとして成立するかどうかもあやふやだから、
まずは脚本を色んな人に見せて製作委員会を組むところから始めることもある。
そのときの最初の脚本を、習慣的に初稿という。
初稿は色んな所に回る。
映画会社の次期製作決定会議にかけられ、
配給会社の編成会議にかけられ、
芸能事務所に役の希望を募る為に配られ、
製作委員会を組むために、テレビ局や広告代理店や関係会社に配られる。
それらが諸手を挙げてやりましょう、
ということは滅多になく、
「こういう形ならウチは参加したい」という返事が返ってくる。
あとはプロデューサーの手腕次第だが、
「どういう内容なら、この映画をつくれるか」
という戦いに突入する。
脚本の本質をねじ曲げるビジネス側の判断もある。
なるべく内容を守りたい作品側の判断もある。
その折衝は、脚本家ではなくプロデューサーの仕事だ。
(僕はこれをコンビでやってもいいのではないかと思う。
何故ならプロデューサーが勝手にOKしたことは、
脚本家に取って受け入れがたい要素があることがとても多いからだ。
大抵そこで決裂するか、折れるかの二者択一だ。
第三の凄い解決法が出ることは希だ)
そうこうしながら、初稿は第二稿第三稿へと改訂される。
そしてビジネスとしてやることが決まるときの脚本を、
決定稿という。
実際には、そのあとも複数の間で揉めている要素があって、
撮影準備をしながら改稿することもある。
決定稿は、製作委員会、配給などに配られるが、
その後に撮影稿として改稿されたものを、現場スタッフキャストに配ることもある。
更に撮影現場でのアドリブや変更を記録した編集用稿、
編集での変更を最終的なダビング(音入れ)に反映した最終稿などがある。
(ごくまれに、その後なんらかの理由、検閲とか事件とかで、
内容を更に改訂することもある。
例えば「スパイダーマン」は、911が起きて、撮影編集済みの、
ワールドレードセンタービルでのクライマックスが全変更された。
これは公開までに莫大な金があったから出来たことだ。
日本だと、311故に水攻めの「のぼうの城」を直すことはなく、
ほとぼりが冷めるまで公開を延期しただけだった)
さて、当然だが、
改稿すればするほど、よくならなければならない。
しかし実際には、改稿は内容の悪化しか生まない。
日本の大作が駄目なのは口出しする人の多さと、
リライトの下手さの両方が原因だ。
それに大事なことは、
第一稿の、最初の読後感である。
これを乱すリライトは、基本的にやめるべきだ。
これを違うものにするのなら、脚本を書き直すべきだと、
あなたは作品の責任者として言うべきだ。
違うものにするのなら、
プロットに、ログラインに戻り、
合意点を探るしかないのだ。
なんのことはない、最初からやり直すのである。
残念ながら、殆どの現場では、このようなスクラップ&ビルドだらけが行われて、
そもそもこういうのを目指していたんだっけ、
俺たちはどういう夢を見てたんだっけ、
というのがさっぱり分からないものが出来上がっている。
例えば渋谷ダンジョンがそのような典型的な駄目ビジネスだ。
誰も得しない。金を回す為だけの工事だ。
むしろ利用者は全員迷惑だ。
東横渋谷ダンジョンは、明らかに渋谷若者文化を壊滅に追いやった。
東急がそれに気づいているかどうかは、知らない。
(看板などを見る限り東京オリンピックを完成形にする臭い)
あなたが、どのリライトの段階でも名作を書く能力が、
求められているスキルだ。
渋谷ダンジョンのような脚本にならないように、
リライトの力を鍛えることだ。
求められている最終型はいつも同じである。
新しくて、シンプルで、深くて、感情移入できて、
感銘を受ける、読後感の凄い、名作である。
最初に書いた読後感に、最も合理的にたどり着ける、
ベストの構成である。
おそらく、部分的パッチを当てると継ぎはぎのモンスターになる。
必要な条件を洗い出して、
白紙に一から書く方がいいものが書ける。
リライトは、直しではなく、もう一度書くことだ。
何回それをやるのか、それは体力次第である。
2014年09月20日
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