2014年09月20日

昨日ちょっと絶望したこと

もうCMの現場では、ストーリーものは作れないかもしれない。
それは、ストーリーというものに対する理解のレベルが、
明らかに低下しているからだ。


僕の昔つくったCMが社内で参照されていて、
おお懐かしいと輪に入ろうとした。

AC公共広告機構のシマウマ、「一人にさせない」編だ。
町中で子供シマウマ達が下校する中、
子供さらいの影が迫る。偶然一人になったシマウマに悪の手が迫る。
「群れからはぐれた獲物が狙われる。」
とキャッチの入る、恐怖訴求的なCMである。
企画コピー演出ともに僕で、合成が大変だった。

しかしどうも「こういうやつじゃないものを探している」という文脈で、
いわば悪い例として出されていたらしい。
「これはストーリーものであって、
全体でひとつのテーマを描いているものだが、
もっとそうじゃない一枚絵で動物が記憶に残る系のものを求めている」
という文脈だった。

それは恐らくワンカットCMという事なのだろう。
象がボールに乗ったり、
ライオンが抱き合って写真を撮ったりする、
一発芸系のCMだ。

もしそんなものしか求められていないのだとしたら、
既に企画段階で、ストーリーものはハブられている。


別に件のシマウマが、一枚絵がないわけじゃない。
ラストカット、影が迫り怯える子馬がイコンになるように、
それは組まれている。
そのカットが全ての意味を象徴するようにつくってある。
(ラストシーンの役割)
それを、ストーリーがあるというだけで、
悪者扱いをし、最初からはじいている。

それは、ストーリーものを頭の中で上手く扱えていない証拠ではないだろうか。
前提があって、展開があって、落ちがあって、
それが何らかの意味をなしていることを、頭の中で扱いきれないのだ。

分からないブラックボックスになってしまっているから、
アリかナシかの二択なのだ。
分解して考えようという発想すらないのだ。


全てのケースがそうだとは言えない。
このケースが特別バカかも知れない。
しかもそれを俺のいる前でやらなくてもよいだろう。
だが、企画の水際でこれが常態化しているのなら、
CMは全て一枚絵で、ストーリーの醍醐味や面白さや胸キュンなどは、
永遠にお茶の間に流れないだろう。
(問題は、似たような思考停止が、ドラマや映画にもあることだ)

ストーリーを頭の中で扱うのは、
ひょっとしたらIQが高くないと駄目なのかもしれない。


社内の件では、僕はそっとコーヒーを入れにいくことでその場を離れた。
馬鹿に付き合う時間は勿体ないからだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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