人は嬉しそうな顔を見ると自分まで嬉しくなる、
人は悲しそうな顔を見ると自分まで悲しくなる、
これは誤解だ。
人はそんなに馬鹿ではない。
CMで幸せそうな家族を見たからといって、
視聴者も幸せな笑顔になっていると思っているのは余程のドシロウトだ。
CMの笑顔を見て、我々はなんとも思わないのが事実だ。
それはCMであることを分かっているからだ。
売らんがための、定型表現であることを知っているからだ。
映像表現においては、ただその感情を見せても、
相手はその感情にはなってくれない。
それを見れば即感情移入、と誤解している素人クリエイターが多い。
感情移入とは、もっと複雑なプロセスである。
特にCMでは、
高価な値段をかけて、美男美女の笑顔を撮る。
それは、少しでも美しいものを見て、
笑顔を見てもらうためだ。
子役や犬などを使うのも同じ理由だ。
可愛いから見てしまう、を狙うためだ。
しかし、可愛い笑顔をついつい見てしまうことと、
我々観客が笑顔になることは違う。
可愛いもの、美しいものは人の心を奪うが、
それは感情移入ではない。
愛でているだけである。
イライラしているときに、CMの美しい世界を見て、
嘘つけ、世界がこんなに楽しい訳がないだろう、
と思った経験はあるだろう。
別に腹も減ってないのに、汚く食べる食べ物CMを見て、
むかつくことはあるだろう。
面白くもないときに、下らないギャグCMを見て、
腹が立つことがあるだろう。
これらは、「見たものに反応している」だけだからだ。
見たものに反応するのは、感情移入ではない。
だから、笑顔や食べ物やギャグは、
その意図通りには受け取られない。
それを見て反応されるだけだ。
反応はほぼ反射だ。
理性や深いところと関係ない、動物的反射に過ぎない。
だから、見たものと自分の虫の居所の関係で決まる。
虫の居所がよければ、
可愛い、うまそう、クスッとなる、だし、
悪ければ、
笑ってんじゃねえよ、汚ねえ、うるせえ、だ。
それは感情移入ではない。
感情移入とは、自分の状態に関係なく、
美しいものや可愛いもの以外にも、
起こすことが出来るものだ。
どうやって?
事情だ。
「その人に訪れた事情を知ること」だ。
「311で家を流された」という事情を知れば、
プレハブで独り暮らしする人に同情するものだ。
「25年彼女がいない男が、ようやくリアル彼女が出来た」
という事情を知れば、
不細工カップルが手を繋ぐ様を見ても幸せな気分になるものだ。
「徹夜仕事で3日ほどコンビニおにぎりしか食べていない人」が、
久しぶりに暖かい味噌汁を飲めば、
さぞうまいだろうと思うものだ。
「その人の事情ゆえの感情」こそ、
感情移入の対象なのだ。
その時に見せる、辛い表情、幸せそうな顔、うまそうな顔に、
我々は、辛い感情、良かったねという感情、食い物うまい感情を、
「重ねる」のである。
これが一番原始的な感情移入である。
一端それが重なれば、
あとはその人がそれを裏切らない限り、感情移入は持続する。
実はプレハブは嘘で豪邸に住んでました、家は流されてないです、
実はヤリチンでした、実は毎日ちゃんと寝てうまいものも食ってました、
などと裏切られたら、せっかく信じたことが台無しだ。
そうではない限り、
感情移入は持続する。
更に事情の詳細が分かってきたり、
更にこの人たちに新たな展開があって、それが最初の印象を裏切らずに、
面白い展開になれば、
感情移入は更に深くなる。
こうやって感情移入は、
最初のものから展開させることが出来る。
それに関しては度々書いているので省略するとして、
最初の感情移入についてもう一度見てみよう。
感情移入の最初は、事情への同情であるということ。
これについても既に書いた。
結局、人間は自分より「下の者」に同情する。
自分より不幸な者が見たい。
自分と関係ない世界で、不幸な者が見たいのだ。
(その人の中に、自分と同じようなものを見つけると、感情移入する)
特にテレビは、そうやって発展した。
不幸な者を写し、それよりは自分はましだ、という感情を肯定したのだ。
物語における感情移入は、
一般的なドン底の不幸な者から、必ずしも始まるわけではない。
(まあそういう場合もある)
一般的には「普通」の人でも、
その人にとっては不幸な事がある、
という欠落、欠損からはじめる。
それは、不幸への同情と、同じ構造になっている。
その「事情」を知るから、感情移入がはじまるのだ。
CMの現場にいると、
素人クリエイターが素敵な笑顔ばかり求めて、
嫌になることがある。
あることの末の笑顔、ならそこは粘るべきだが、
ただ素敵な笑顔を撮って、観客が素敵な気持ちになると思っているのなら、
底が浅い。
で、ある事情があって、それがどうなったかは、
一般にストーリーという。
ストーリーによる感情移入を、今のCMは忌避する傾向にある。
無知ゆえに。
さて、感情移入というものは、
一度ちゃんと起こったら、一生続く。
それぐらい強力な感情だ。
(例えば風魔の小次郎は、全キャスト感情移入出来る物語だった。
いまだにキャストを追いかけているファンも沢山いる。
それは、あのストーリーで強く感情移入したからだ)
勿論飽きることもあるけど。
最近企業に元気がないのは、感情移入に足るCMを打っていないからだ。
不況になると感情移入などという難しいものを理解出来なくなるのだろう。
守りに入ると、そのような普通の事がわからなくなる。
さて、映画では、その感情移入こそが見続けさせる原動力だ。
我々は、感情移入を自在に操る専門家になるべきだ。
2014年09月21日
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