流れとは何か?
なかなか言葉に出来ない。
ストーリーの勢いやグルーヴということもある。
詰まらない話は流れが悪く、面白い話は流れがいい。
結局僕は、流れは目に見えないがあるもの、
という結論にたどり着いた。
野球を例にしてみよう。
野球の試合には、明らかに流れや勢いのある場面がある。
打ちまくれる時、ピッチャーの調子のいいときなど、
個人の体調や能力や運の流れのようなものと、
相手の作戦を封じたり、作戦が当たったりする流れや、
心理的不安や自信回復などの心理の流れだ。
これらは、スコアボードから読み取ることは出来ない。
その場にいれば明らかに分かる流れでも、
紙の上の記述になると、その部分を失うのだ。
プロ用の、例えばマネージャーがつけるような、
専門的記述(公式記録と呼ばれるやつ?)を見たことがある。
そこから、そのような勢いや流れを頭のなかで再現して読み取れるのは、
その試合を経験していれば余裕だろう。
しかし、経験していない試合からどこまで読み取れるものだろうか。
選手同士の駆け引きや、心理の流れや、試合の押せ押せムードなどを、
読み取れるものだろうか。
恐らく、プロなら半分ぐらいは読み取れそうだ。
残り半分は無理だろうと予測するのは、
時間軸に沿っていないからだ。
もし各プレイタイムまで書いてあれば、
間をとったとか、勢いよくテンポがあったとか、
読み取る材料になるだろうからだ。
似たようなものに、将棋の棋譜がある。
あれから、プロ達は、駆け引きを読み取れるだろう。
失敗や成功の流れもある程度読み取れるかも知れない。
しかし、ここらへんからここらへんはこういう流れで、
のような大局的流れを解説することが出来るだろうか。
スポーツの試合における、
アナウンサーと解説は重要である。
アナウンサーは見たままを言う。
それはラジオ中継やリプレイがなかった時代の遺産でもあるが、
とにかくアナウンサーは、今あったことを、見たままを言う。
それを解説者が解説する。
見たままでは分からないことをだ。
このふたつのペアが、流れの記述として正しい。
野球のスコアボードに、このような解説がつけば、
流れを書くことが出来るだろう。
(実はこのとき○○狙いで、このときのムードたるや、などを足せる)
棋譜にこのような解説がつけば、流れを書けるだろう。
さて、シナリオである。
シナリオに書けることは、ト書き(絵のこと)、台詞(音のこと)、
柱(場所や時間のこと)のみっつだ。
流れや勢いを、書くことは出来ないのだ。
テンポの事は少し書ける。1枚1ページのフォーマットだから、
詰めればテンポが早いし、間延びさせれば遅い。
脚本では、勢いや流れを直接書くことが出来ない。
解説の人はいないのだ。
見たままのことを言うアナウンサー的な立場で、
あなたは起こっていることを見せるしかない。
にもかかわらず、解説の人がいないのに、
解説が分かるようにしなければならない。
それは、誰にでも備わっている、
行間を読む力のことである。
勢いや流れ、その場の空気は、
そこから生まれているのではないかと思う。
2014年09月22日
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