2014年09月22日

流れ

流れとは何か?
なかなか言葉に出来ない。
ストーリーの勢いやグルーヴということもある。
詰まらない話は流れが悪く、面白い話は流れがいい。

結局僕は、流れは目に見えないがあるもの、
という結論にたどり着いた。

野球を例にしてみよう。


野球の試合には、明らかに流れや勢いのある場面がある。
打ちまくれる時、ピッチャーの調子のいいときなど、
個人の体調や能力や運の流れのようなものと、
相手の作戦を封じたり、作戦が当たったりする流れや、
心理的不安や自信回復などの心理の流れだ。

これらは、スコアボードから読み取ることは出来ない。
その場にいれば明らかに分かる流れでも、
紙の上の記述になると、その部分を失うのだ。
プロ用の、例えばマネージャーがつけるような、
専門的記述(公式記録と呼ばれるやつ?)を見たことがある。
そこから、そのような勢いや流れを頭のなかで再現して読み取れるのは、
その試合を経験していれば余裕だろう。

しかし、経験していない試合からどこまで読み取れるものだろうか。
選手同士の駆け引きや、心理の流れや、試合の押せ押せムードなどを、
読み取れるものだろうか。
恐らく、プロなら半分ぐらいは読み取れそうだ。
残り半分は無理だろうと予測するのは、
時間軸に沿っていないからだ。
もし各プレイタイムまで書いてあれば、
間をとったとか、勢いよくテンポがあったとか、
読み取る材料になるだろうからだ。

似たようなものに、将棋の棋譜がある。
あれから、プロ達は、駆け引きを読み取れるだろう。
失敗や成功の流れもある程度読み取れるかも知れない。
しかし、ここらへんからここらへんはこういう流れで、
のような大局的流れを解説することが出来るだろうか。

スポーツの試合における、
アナウンサーと解説は重要である。
アナウンサーは見たままを言う。
それはラジオ中継やリプレイがなかった時代の遺産でもあるが、
とにかくアナウンサーは、今あったことを、見たままを言う。
それを解説者が解説する。
見たままでは分からないことをだ。
このふたつのペアが、流れの記述として正しい。

野球のスコアボードに、このような解説がつけば、
流れを書くことが出来るだろう。
(実はこのとき○○狙いで、このときのムードたるや、などを足せる)
棋譜にこのような解説がつけば、流れを書けるだろう。


さて、シナリオである。
シナリオに書けることは、ト書き(絵のこと)、台詞(音のこと)、
柱(場所や時間のこと)のみっつだ。
流れや勢いを、書くことは出来ないのだ。

テンポの事は少し書ける。1枚1ページのフォーマットだから、
詰めればテンポが早いし、間延びさせれば遅い。

脚本では、勢いや流れを直接書くことが出来ない。
解説の人はいないのだ。

見たままのことを言うアナウンサー的な立場で、
あなたは起こっていることを見せるしかない。
にもかかわらず、解説の人がいないのに、
解説が分かるようにしなければならない。

それは、誰にでも備わっている、
行間を読む力のことである。


勢いや流れ、その場の空気は、
そこから生まれているのではないかと思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック