2014年09月24日

それで本当の解決になったか

脚本を書いているとき、
前半のセットアップが面白く書け過ぎて、
本来のプロット上の解決では、
完全に解決しきれていないことがある。

それをまず気づくことが大事だ。

作者的にはプロットを実現することに必死だから、
自覚的ではないことが多い。
他人からの指摘で気づくことの方が多いかもしれない。

あなたが想定したようなカタルシスを与えられていないことは、
それが原因かも知れない。


プロット段階で考えていたセットアップより、
実際の執筆のほうが、より細かい記述になるものだ。
或いは微妙な違和感を埋める、
新しい設定をその場でつけ足して進むものだ。

これにより、中盤ではその新しいこと込みで話が進む。
それによってより話が重層的になり、リアルになる。

が、解決の段に至って、何故だかそれが無視されやすくなる。

それはやはり、解決の瞬間こそがプロットの完成の証であり、
執筆当初からそこへ向けて話を進めていた、
ゴールだからだ。

だから、執筆バージョンのストーリーが、
一世代前の解決へ接続されがちなのだ。


このようなことになりやすい、
を知って、第二ターニングポイントを書く前に、
一度これからのクライマックスを想像すると良い。

或いはクライマックスから解決を書いているとき、
計画に沿って書いているから本来正しい筈なのに、
覚えた違和感を覚えておくといい。
或いは、計画通りになって安心した気の緩みを覚えておくといい。
それは、本当の解決を書けなかった証拠だ。
当初の計画とはやや異なるが、このバージョンでのカタルシスを書けた、
と思ったことのほうが正しい。

後者でフィニッシュしたときは、
落ち着いて、プロットのバージョンと現バージョンのどちらが良いかを比較検討すればよい。
元バージョンでのリアリティーのなさは、
実際書いたことで解消されていることが殆どだ。

問題は、新バージョンで書いていながら、
解決だけ(違和感を覚えながら)旧バージョンで、
「出来たことにした」場合である。

その違和感は作者だけが感じるものではない。
観客にも伝わる。
盛り上がりが足りなかった、カタルシスが物足りなかった、
などのような形で。
(例えば、風魔13話の小次郎武蔵対決は、原作通りにやりたいという、
旧バージョンの解決へ接続しようとした。
結果的に、オリジナルな12話の、
武蔵と壬生のツートップに戻った方が盛り上がってしまった反省がある。
まあ、ラストには小次郎と姫子の別れがあるから、いいっちゃいいのだが)


新バージョンでのカタルシスを、
きちんと練り直そう。
第二ターニングポイントから、もう一度練り直そう。
新しい第三幕を考えてもいいし、
アレンジを加えるでも構わない。
結末やラストシーンがそれで変わってしまっても構わない。
逆に変えるつもりで、
もう一度第三幕を練り直そう。
絶対に、そのほうがいいクライマックスに、終わりになる。


あとは、書き終えたあとに、
プロットバージョンと執筆バージョンで、
どちらがいい話になっているかを比較検討し、
いいところは拾い、悪いところは直せばいいだけだ。
それまでが新バージョン、クライマックスだけ旧バージョンが、
一番中途半端だ。

(では風魔13話はどうすれば良かったのか。
絵里奈のことの他に、壬生の友情成分を足すべきだったのかも知れない。
小次郎を、倒すべき仕事の相手だけでなく、友を討ち取った男として、
武蔵に認識させるべきだったろう、壬生の見た「新しい夜叉」について、
武蔵がどう考えていたかを、語っても良かったかも知れない。
「戦いは、どちらかが死んでどちらかが生きることだ。
壬生の見た新しい夜叉は、小次郎、お前に殺されたのだ。
俺は生きなければならん。風魔を殺して」などのような口上が中盤にあれば、
より盛り上がったかもね。
武蔵になるべくアレンジは加えない、という俺ルールを破ってもよかったかもだ。
そのお陰で壬生と陽炎が生き生きしたことのプラスはあるのだが。
だから壬生と陽炎が退場したあとの13話の武蔵は、ピンでしんどいのかも)
posted by おおおかとしひこ at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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