あなたは物真似が上手いだろうか。
だとすると、台詞を書く才能があるかも知れない。
台詞を書く才能は、要するに物真似だ。
男の台詞、女の台詞、
年寄りの台詞、子供の台詞。
自分の未経験のことを書くときに、
その人の物真似をすれば、台詞が出てきやすい。
物真似とは、単に外面を真似することではない。
その人の内面に至り、その人がやりそうなこと、
考えそうなこと、発想しそうなこと、嫌がりそうなこと、
などに考えをめぐらせ、
その上で外形をよくあることにすることだ。
外形のよくあることは、内面のどういうものから作られているかを、
知っていくことだ。
単なる形態模写は、
デッサンの上手さでしかない。
本当に上手い物真似は、
その人が言っていないことでも、
その人が言っているように錯覚させることだ。
例えばコロッケは、この名人である。
恐らく、役者をさせても上手いだろう。
(多少時間がかかるかも知れないが)
それは、外面の観察→特徴の抽出→内面の観察→特徴の抽出→外面に再構築
の過程を経ているからだ。
物真似でよくある、「○○が△△しそうなこと」などは、
その人がそんなことしたことないのに、さもありそうと思わせるネタのひとつだ。
有り体に言えば、デフォルメが上手いのだ。
似顔絵や物真似は、デフォルメが仕事だ。
物真似芸人は、それを笑いに昇華するが、
我々は別のものへ昇華する。
物語の文脈における、リアリティーとしてだ。
方法論は物真似と同じだ。
対象の内面が自分に出来るまで観察して自分のものにし、
客観的にいかにもそうだと思えるように外形(台詞)を整える。
台詞は、空間に孤立してあるのではない。
それを言う前の文脈や、それを言おうとした意図がある。
その台詞によって出来た空気を、
また別の意図が文脈を継いだり変えたりするために、
次の台詞を言う。
それは、外面の物真似だけではなく、
内面の抽出が上手く出来ないと、応酬が書けない。
台詞を書くときには、既に各キャラクターの内面と外面が、
掴めている必要がある。
役者は役づくりをする準備期間を取るという。
そんなもの脚本家にしてみればちゃんちゃらおかしい。
だって役者は一人分役づくりをすればいいだけだからだ。
脚本家は、全キャラクター分の役づくりをしないと、
台詞を書くことが出来ないのだ。
だから、脚本家が役づくりをしたときに調べたことは、
監督や役者の役づくりの、よい資料になることが多い。
あなたは、
世界をどうデフォルメし、
世界をどう表現するのか。
台詞を書くことは、その一部であり、かなりの分量である。
物真似芸人に学べ。
自分と似たキャラしか出来ないのは論外だ。
物真似芸人は、自分と似てない内面の人まで自分のものにする。
2014年09月28日
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