2014年09月29日

単なるキャラクターショウ

確かに単なるバトル漫画に、
ストーリーを期待するのは間違っていたのかも知れない。
新しい時代とは何か、古い時代の何を否定したのか、
という一番大事なテーマの答えを期待しすぎたのかも知れない。
アクション映画だから、
ハリウッド並の知能指数で見るべきだったかもだ。
(しかし日本の時代劇は、そもそもストーリーをちゃんとつくってた筈だが)

るろ剣、伝説の最期篇は、
ストーリーのないキャラクターショウだった。


単なるバトル漫画に、
人間のリアリティーを丹念に織り込んだ、
そしてそれが認められた、実写版風魔の小次郎が、
馬鹿にされた気がして腹が立つ。

あれだけ金かければ、同じアクションを風魔でも出来たわちきしょう。


金をかけたコスプレキャラクターショウは、
バトルの連続で、ちっともストーリーがなかった。


ストーリーのあるなしを、
簡単なリトマス試験紙のようにテストしてみよう。

主人公剣心は、○○のために△△をする。
ヒロイン薫は、○○のために△△をする。
盟友佐之助は、○○のために△△をする。
盟友斉藤は、○○のために△△をする。
宿敵志々雄は、○○のために△△をする。

主要キャラの○○と△△を埋めてみよう。
○○を動機、△△を行動と言う。

さて、○○が明確なキャラは誰か。
志々雄と佐之助だけだ。
それぞれ、新国家をつくるため、剣心を助けるため、
と明確で一貫している。

だが、新国家建設の為に建造した戦艦を、
何故ずっと沖で停泊してたのだろう。
政府軍が大砲建設するまで、何故待ったのだろう。
それを見たらさっさと移動すりゃいいだろうが。
動機は分かるが△△の部分がさっぱり分からないのだ。

主人公以外は、さっぱり動機と行動がよく分からない。
分かるとしても、感情移入には一切至らない。
そこに人間のリアリティーがないからだ。
漫画キャラには似ていたが、
人間には似ていなかった。

最も分からないのが主人公剣心だ。
不殺は何のためなのか、全く感情移入出来ない。
奥義習得の哲学が、大人のものとは思えない位子供っぽい。
薫との恋愛も全く描けていない。
闘う動機も不明瞭なままだ。
それまでの因縁の決着に、クライマックスがなっていない。
国家転覆するほどの危機感が志々雄サイドにないから、
主人公サイドの危機感が炙り出されない。


つまり、これはストーリーではない。
殆どのキャラクターが出落ちだ。

変化や行動といった、ドラマの基本がまるで欠如しているのだ。
出落ちのキャラが、自分の技を見せるためにアクションをするだけの、
単なるキャラクターアクションショウに過ぎなかった。

ゲームみたいに、ずっとバトルを楽しんでいるがいい。
「バトル」は、「殺し合い」ではないことに注意されたい。
バトルはゲームに属する。
殺し合いは人生に属する。


これは、人生を描く物語でも何でもない。
posted by おおおかとしひこ at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック