2014年09月29日

迎えにいくな

業界でよく言われること。

御都合主義を防ぐ為に、チェックポイントとして覚えておくと良い。


たとえば。
男が女に告白しようとしているとき。

女「私になんか言いたい事があるんだって?」
は、迎えに行っている。駄目だ。

こうやって迎えにこられれば、
男「そう。実は、きみが好きだと告白したいんだ」
と、受けとして本題を切り出せてしまう。
これは御都合主義である。

男「今、あえて、このタイミングじゃないかも知れないけど、
話があるんですが」

と、人が無理を通そうとする事が、おはなしなのだ。


たとえば、
「さあ今がチャンス! 全て状況は整いました! あとは、
ボタンを押すだけです! さあご活躍を!」
は、モロに迎えに行っている。

そうではなく、
「このメチャクチャな状況を、俺がなんとかする」
と、人が無理を通そうとする事が、おはなしである。


告白も、メチャクチャな状況をどうにかすることも、
「どうやって」それを成功させるかに、観客の興味はいく。
その「どうやって」をつくることが、創作なのだ。



殆どのライターは、現実をどうこう出来た経験がない。
ないから、準備が出来るまで待ってしまう。
「自分を書いてはいけない」はこういうところに出やすい。
あなたが冒険をしたことなくても、
物語では冒険を描かなくてはならない。

航路のないところに冒険がある。
冒険とは、地図のないところに成功という道筋をつくることだ。
どうにかして。
そのどうにかしてを、
理屈も通じ、感情もゆさぶられるようにしなければいけないのだ。


迎えに行く台詞は、サービスされるお客さんになってしまうことだ。
それは物語ではない。

物語とは、切り拓くさまを言う。


誰かに言われて、とか、促されて、とか、
お膳立てを整えられて、という受け身が、
御都合主義であり、迎えに行く台詞の正体である。
誰かに言ったり、促したり、お膳立てを整える、
能動形が、物語である。
posted by おおおかとしひこ at 16:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
全てのシーンにコンフリクトを設定せよ、という言葉は、こういうことなのかもしれないですね。
Posted by 塩 at 2014年09月29日 21:24
塩様コメントありがとうございます。
シーンのコンフリクトのような小構造というよりも、 もっと会話術に近いものの話です。

飲み屋のママ、キャバ嬢、カウンセラー、詐欺師などは、 こうした話術が上手です。
相手のしゃべりたいことを探り、相手がしゃべるきっかけを迎えに行くのが上手い。
いつの間にか自分は聞き役で、相手に語らせてやればよい、という仕組み。

語る側は気持ちいいからそれに(主観的には)気づかない。
しかし客観的には、受動的に「しゃべらされている」のです。
迎えに行く台詞は、この原理を知ると楽なのです。
それは、受動的な相手役しか生まず、物語ではなくカウンセリングの場になってしまいます。

迎えに行く台詞を取り除き、常に切り拓くように能動的にしていくと、
結果として、シーンにコンフリクトが生まれるでしょう。
Posted by 大岡俊彦 at 2014年09月30日 00:06
詳しくありがとうございます。
会話の内容について注意して見てみます。

ついでにですが、
「多分、大丈夫」応援してます。
Posted by 塩 at 2014年09月30日 14:25
ありがとうございます。

具体的な応援の仕方:

ブログ、facebook、ツイッターなどにシェアする。
友達にすすめる。
閲覧数の多い影響力のある人にすすめて、
気に入ってもらい、シェアしてもらう。

などなど。行動が、その人をしめすのだ。
Posted by 大岡俊彦 at 2014年09月30日 17:37
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