業界でよく言われること。
御都合主義を防ぐ為に、チェックポイントとして覚えておくと良い。
たとえば。
男が女に告白しようとしているとき。
女「私になんか言いたい事があるんだって?」
は、迎えに行っている。駄目だ。
こうやって迎えにこられれば、
男「そう。実は、きみが好きだと告白したいんだ」
と、受けとして本題を切り出せてしまう。
これは御都合主義である。
男「今、あえて、このタイミングじゃないかも知れないけど、
話があるんですが」
と、人が無理を通そうとする事が、おはなしなのだ。
たとえば、
「さあ今がチャンス! 全て状況は整いました! あとは、
ボタンを押すだけです! さあご活躍を!」
は、モロに迎えに行っている。
そうではなく、
「このメチャクチャな状況を、俺がなんとかする」
と、人が無理を通そうとする事が、おはなしである。
告白も、メチャクチャな状況をどうにかすることも、
「どうやって」それを成功させるかに、観客の興味はいく。
その「どうやって」をつくることが、創作なのだ。
殆どのライターは、現実をどうこう出来た経験がない。
ないから、準備が出来るまで待ってしまう。
「自分を書いてはいけない」はこういうところに出やすい。
あなたが冒険をしたことなくても、
物語では冒険を描かなくてはならない。
航路のないところに冒険がある。
冒険とは、地図のないところに成功という道筋をつくることだ。
どうにかして。
そのどうにかしてを、
理屈も通じ、感情もゆさぶられるようにしなければいけないのだ。
迎えに行く台詞は、サービスされるお客さんになってしまうことだ。
それは物語ではない。
物語とは、切り拓くさまを言う。
誰かに言われて、とか、促されて、とか、
お膳立てを整えられて、という受け身が、
御都合主義であり、迎えに行く台詞の正体である。
誰かに言ったり、促したり、お膳立てを整える、
能動形が、物語である。
2014年09月29日
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シーンのコンフリクトのような小構造というよりも、 もっと会話術に近いものの話です。
飲み屋のママ、キャバ嬢、カウンセラー、詐欺師などは、 こうした話術が上手です。
相手のしゃべりたいことを探り、相手がしゃべるきっかけを迎えに行くのが上手い。
いつの間にか自分は聞き役で、相手に語らせてやればよい、という仕組み。
語る側は気持ちいいからそれに(主観的には)気づかない。
しかし客観的には、受動的に「しゃべらされている」のです。
迎えに行く台詞は、この原理を知ると楽なのです。
それは、受動的な相手役しか生まず、物語ではなくカウンセリングの場になってしまいます。
迎えに行く台詞を取り除き、常に切り拓くように能動的にしていくと、
結果として、シーンにコンフリクトが生まれるでしょう。
会話の内容について注意して見てみます。
ついでにですが、
「多分、大丈夫」応援してます。
具体的な応援の仕方:
ブログ、facebook、ツイッターなどにシェアする。
友達にすすめる。
閲覧数の多い影響力のある人にすすめて、
気に入ってもらい、シェアしてもらう。
などなど。行動が、その人をしめすのだ。