自分のものは置いといて、
他人のものなら、すぐに改良のアイデアは出てくるものだ。
その根拠はなんだろう。
これはこういうものだとしたら、
本来これくらいのいい部分があるべきであり、
それにはこれが足りないから、
このあたりをそのいい部分にするべきである、
ということだろうか。
つまり、理解→理想→理想と現実の差→改良の具体、
というプロセスがあると思う。
自作で難しいのは、最初のプロセス、理解である。
この話はこういうものである、
という認識が、自作だと歪みやすい。
執筆前の構想当初、実際の執筆で出来上がったもの、
それらがバラバラだからだ。
まずはそれを統一体にしよう。
そのために、何度もログラインやコンセプトを書き直そう。
ひとつのシンプルなログラインやコンセプトに絞りにくいことが、
実はほとんどだ。
それは、作品が統一体にまだなりきれていない証拠だ。
しばらく作品を離れて時間をおくと、
いい感じにディテールを忘れ、
自分が一体何をやりたかったのか、
何をなし得て何をなしきれなかったかが、
おぼろげながら分かる。
というか、イメージで残るだけになる。
その時がリライトのチャンスである。
具体原稿を見ずに、
イメージのまま、
ログラインやコンセプトを、一行でまとめてみよう。
内容はおいといて、
最初の設定部から想像される、理想の結末をイメージしよう。
それから想像される、最高の盛り上がりやカタルシスをイメージして、
メモしよう。
多分現実の原稿は、そこに届いていない。
あせらず、理想をもう少し妄想しよう。
あなたのそもそもやりかたったこと、
あなたの用意した素材から考えられる最高の盛り上がりやカタルシス、
そのズレを認識しよう。
おそらく、後者のほうが上だ。
あなたの構想当初より、
実際の執筆によって、
大抵はそれを上回るスペックの物語が生まれる素地がつくられる。
これは経験則だ。
理由はよく分からないが、実際の設定や血肉を得たことが大きい気がする。
形のない妄想より、形を持ったことの強さが上回ると思う。
しかしまだ不完全なだけだ。
今ある具体を、理想に近づければいいのだ。
そこまでイメージを操作した上で、
ようやく今の具体原稿を見ていけばよい。
(リライトのコツは、部分で直さず、
メモを取らず一気読みして、頭の中で直すべきところを考え、
白紙に新しく書き、前の原稿に差し替えていくことだ。
そうすると部分のディテールに誤魔化されない、
根本的なリライトが出来る)
理解と理想のプロセスは、
自作の場合このようにするとよい。
あくまで経験則だけど。
あとは、こうすればもっと良くなるのに、
というアイデアが湧いてくる。
その内なる声に従って、改良すればよい。
現状認識と、理想の間を埋めていくといい。
本質を変える新しいアイデアが浮かんでも、
それはメモして横に置くこと。
本質を変える新しいアイデアは、今の理想と関係ないからだ。
今の理想を完成させてから、
改めてそのメモを検討するといいだろう。
(かなりの確率で、現状の理想のほうがよい。
新しいアイデアは、苦しみゆえの逃避行動の可能性が高い)
さて、これらの過程には、
複数の自分が必要だ。
構想当初、こういうことをしたいと思っていた自分、
実際に苦労して原稿を積み上げた自分、
あるものから理想を想像する自分、
現状との差を分析する自分、
実際にその差を埋めるアイデアを出し、改良していく自分。
五重人格が必要だ。
それぞれを尊重し、最終的には三番と五番が、
一番の衝動を現実化してやろう。
他人のものなら、一、二、五はいない。だから楽なのだ。
こうすればもっと良くなるのに、と、
言うのは簡単。(三、四)
実行は難しい。(五)
自作だともっと難しい。(一、二もいるから)
2014年09月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック