ある職場とか世界とかを舞台にしたとき、
単なる恋愛、
単なる先輩後輩の成長、
単なる東京(またはニューヨークや海外留学)へ行く、
単なる病気、
のパターン。
例えばオフィスドラマや、何かの職業を舞台にしたものでは、
よく見られるストーリーラインだ。
人生によくあることだから、
何かドラマを起こさなければ、という思いから、
ついつい安易なライターが書いてしまうストーリーラインだ。
問題は、それが入っているからドラマになっている、
と思い込む作り手側にある。
毎回毎回、色んな舞台で同じことを見ている我々は、
またそれかい、と飽き飽きする。
単なる、というところがポイントだ。
それぞれの焦点が、単なる恋愛、先輩後輩、出ていく話、病気になるから駄目なのだ。
もっと深く、その舞台に食い込んでいればよいのだ。
「インザヒーロー」「太秦ライムライト」は、
見事にこの愚を犯している。
スタントマンまたはスーツアクター、切られ役ならではの、
恋愛や成長や、凄い場所へいくや病気が、
存在しないのだ。
その仕事を理解することはどういうことか、
その仕事をする人は何を誇りにし、どんなコンプレックスを持つか、
その仕事の繊細なところと大雑把なところ、
その仕事を親しい人にどう説明し、自分のなかでどう納得しているか、
同じ仕事仲間との関係、
その仕事にどうやってついて、どうやって終わるか、
脱落した人との関係、辞めた先輩、
不安。
学ぶことや、教えられること。
その職業の人以上にその職業を描くことが、
その職業に入り込むことだ。
その職業ならではの深いところを描いた上で、
それでも人間なんだなあと我々との共通点を描くのだ。
先の二本は、どちらも表面的な、外から見たらこうだろうな、
という「職業の毎日」を描いただけで、
その深みに入っていない。
入っていないから、ドラマをそこから導き出すことが出来なくて、
薄っぺらいドラマのような、
単なる恋愛や先輩後輩や、東京やハリウッドへいくことや、
単なる病気を描いている。
太秦ライムライトのヒロインの殺陣への思いは薄っぺらい。
憧れだったまではいいとして、剣道部に入ったとか、
居合道習ったとか、そのせいで男子から変な目で見られたとか、
彼氏が出来なかったから一回やめたとか、
そういうリアルがなかった。
インザヒーローのハリウッド観はとても薄っぺらい。
どうして渡辺謙や真田広之がハリウッドへ行ったのか、
日本の現場と何がどう違うのかは、何も取材されていなく、
我々はイメージが困難だ。子供が考える「外国」でしかない。
地に足がつくというか、
その世界にリアルにいることで立ち上がって来る物語、
がないのだ。
だから借り物のストーリーラインを植えてしまうのだろう。
もしあなたが職業ものを書くなら、
是非その取材をたっぷりして、
その世界ならではのことに、僕らをへえっと唸らせて欲しい。
何年も働いた人ならではの、あるいはその仕事のまま引退した人の話を聞いてみたい。
そしてその先にある、とはいえ人間なんだなあ、と唸らせて欲しい。
それが作家の目だと思う。
我々は、その人間の見方に、感服するのだ。
なんでもかんでもドラマ要素を足そうとすると、
安易な借り物のストーリーラインを持ってくる。
戦争ものに、女の観客を連れてくるために恋愛要素を入れるなどだ。
風魔の10話だって、最初は恋愛要素イラネと、
予告時点では反発が大きかった。
あそこまで深く登場人物の内面に入り込んだ、
あの話ならではの恋愛劇だから、
単なる恋愛要素にならなかったのである。
深く深く、その人の内面に入ろう。
その人がどういう世界で生きてきて、どういう世界を生きていこうとしているかを、
取材して創作しよう。
単なる借り物のストーリーラインを持ってくるのは、
ただのメッキだ。すぐはげる。
2014年10月05日
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