2014年10月13日

一番多くの人が楽しめるように

書いている途中はなかなか気づかないものだが、
ある程度リライトをして、
だいぶ客観的に見れるようになってきたら、
注意してほしい。

一番多くの人が楽しめるようにすること。


勿論、作品にはジャンルや傾向や個性といったものがあるから、
100%の人が楽しめる映画はない。

だからといって、鋭い企画を丸くするのも反対だ。
せっかくの鋭さをぬるくするのは簡単だ。
刺激的場面を柔らかい表現にする、
特異なキャラクターにも普通の面をつくる、
特異なキャラクター群に普通の人を入れる、
特異な世界に普通を入れる(例えば戦争ものに急に恋愛要素を入れる)、
などだ。

Aが受け入れられないから、Bを足すのは馬鹿のやり方である。
Aがほしい人に取ってBは不要であり、
Aの嫌な人はAを我慢して急造したBを見なければならない。
それは、どちらの人にとっても出来が悪いものである。

僕はこれを幕の内弁当にたとえる。
全ての人が好きなものはどれも物足りない、
嫌いなものもまあまあ入っている、
(だが大失敗ではない)
という、一番中途半端だ。


頭のよいやり方は、
それに興味のない人も、Aに興味をもってもらうことだ。


バランシングキャラクターというやり方がある。
例えば幽霊ものだとしたら、
全員が幽霊を信じているキャラクターばかりだと変だから、
幽霊など信じないキャラクターを入れる、
という方法論だ。

これを表面だけ解釈すると間違う。
バランシングキャラクターは、
観客世界の人口分布を反映させるために投入するのではない。
「幽霊を信じない人が幽霊を信じざるを得ない事件」を描くことで、
幽霊側Aに引きずり込む為にあるのだ。


これは幽霊などの特異な世界だと分かるのだが、
ロマコメなどになると急に役割が不明になる。
恋の駆け引きに興味のない男が、
恋に落ちてしまって七転八倒することが、
本来バランシングキャラクターを入れることだ。
(ブスで自信のない女をバランシングキャラクターにすると、
男観客の入れないものになる。
それは一番多くの人が楽しめるようにはならない)


容易に想像がつくように、ハリウッド映画では、
特殊な世界を描くとき、バランシングキャラクターを主人公にすることが多い。
変な部署に配属された新人刑事などはその典型だ。
ただそれだと主人公のキャラが弱くなるため、
そもそもCで特異な主人公を、
別世界のヘンテコ世界Aに放り込むことが多い。
Aに関しては主人公はバランシングキャラクターとなり、
その常識を学びながら、主人公の特質Cを発揮し始める、
というパターンが多い。
(男勝りのがさつな女刑事がミスコンテストに出場して潜入捜査する、
デンジャラスビューティーはこの典型)

バランシングキャラクターを完全ニュートラルにしてはダメだ。
日本の漫画にはこういうキャラが多い。
バランシングには役立つが、物語を動かす強烈さに欠ける。
(車田漫画や、ジャンプ漫画での主人公空気化は、これが原因だ。
だから、実は最強という理由に、実は血筋が最強だった、にせざるを得ない。
ドカベンの山田太郎は、柔道家Cの特質を持って野球界Aに行った、
元々はハリウッド型だったが、途中でCの成分が切れ、
ジャンプ漫画的に空気になってしまった。
あるいはあしたのジョーは、チンピラがボクシング世界に入るという、
ボクシングへのバランシングキャラクターになっている)

バランシングキャラクターは、
主人公とは限らない。
相手役、友人、敵すら、あることへの価値観への、
観客世界の一般的常識を背負わせることがある。

そして、その目的を忘れてはいけない。

そもそもの主題Aにのめり込ませることが目的だ。


幕の内弁当Bを足してぬるい全方位対応にするのではなく、
一番多くの人がその主題にのめり込めるように、
誘導するのが正しい。

想像してみるとよい。
あなたの主題Aだけを、丸裸で、
道行く群衆のまえで演説することを。
あるいは、2ちゃんで俺の説として書き込むことを。

全員が感心して納得するはずがない。
ある人は反発し、ある人は無視し、ある人は立ち去るだろう。
これの何割かでも回収するように工夫するのが、
一番多くの人が楽しめるようにすることだ。

反発を生む鋭いことは初手から出さない、や、
バランシングキャラクターが本題にのめり込むことで、
本題に入りやすくする、や、
一般的に興味のあるところからはじめて、徐々に引き込んでいく、や、
最初にガツンと凄いことをして耳目を集める
(大抵そのあとは期待外れ、すなわち出落ちだが)、や、
共感出来ることを最初にふって感情移入させてから本題に出会わせる
(例えば漫画あずみの第一話)、
などなどが考えられるだろう。


なるべく多くの人を、本題の前まで連れてこよう。

それには、本題が何か、それがどれくらい鋭くて、
どれくらいの人には不快か、どれくらいの人が眉をひそめるか、
どれくらいの人が興味ないか、
などについて自覚的である必要がある。

そして、ただ本題Aを出して共鳴しない人をも、
本題の前まで連れてくる必要がある。

それは恐らく第一幕の役目になるだろう。
第一幕の三幕構成的な役割、設定部や事件発生や異物との出会い、
などというものとは別に、
第一幕は、世間の常識から離れて、
作品の主題に入り込んでいく誘導路の役割があるのだ。



それには、やはり感情移入だ。
主人公の感情移入こそが、一番多くの人が楽しめるかどうかの鍵なのだ。

不思議な世界、特異な世界、
特異な主人公、特異なキャラクター、
そして鋭いテーマ。

名作であればあるほど、それらが揃っている。
そして名作であればあるほど、
一番多くの人を主題の前まで連れていき、
主題について深く考えるように仕向けている。
posted by おおおかとしひこ at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック