2014年10月15日

おもしろいってなんだ2

前項の要素は、線でなく点であったことに、
皆さんお気づきになったであろうか。

結局我々は、線のものを、点の言葉でしか、
「理解、分析」出来ないのである。


それは、言葉による理解だからだ。
言葉とは、殆どが名詞である。

分析とは、言葉による理解だ。
複雑なものを要素に集約し、それらの関係を把握することで、
複雑なものの次元を下げる。
その過程で、言葉、すなわち名詞、すなわち点に集約されるのだ。

流れをもち、常に動くものを言葉で正確にとらえることは出来ない。
言葉で近いものを描写することや、例えばなしはできる。
が、言葉で分析、理解しようとした瞬間、
点という静止した複数の要素群になってしまうのだ。


だから、脚本を語ることは、
単語だけでは不可能だ。単語と単語の関係性を語る、文章でなければならない。

おもしろさとは、を考えることは、
流れのあるものの一段面、
つまりこれも静止したものに次元を下げて理解しようとすることだ。
だから、単語の羅列になってしまう。


言葉は難しい。その性質上、流れと一対一対応していない。
だが、我々は言葉でしかものを考えることの出来ない生物である。

○○が△△になるとおもしろい、
などのように文章形式でおもしろさを考えることも、
恐らくは可能だろうが、
想像するだに、そうなった瞬間面白さが詰まらなさになってしまうだろう。
いくらでも例外がありそうだからだ。

ということで、おもしろさの正体を見極めるのは困難だ。
でも、あーああいう方向性の面白さね、
と例えばなしをすることは可能だ。

地獄先生ぬ〜べ〜は、先生が妖怪退治する、
学園ドラマ版ゲゲゲの鬼太郎、というとなんとなく分かるような。
(学園ドラマの部分をいいように高校設定に改編した阿呆もいるようだが)

しかしこの言い方は、オリジナルの面白さの場合、
それを表現することが困難だ。
実写版風魔の小次郎の魅力を一言で上手く伝えることが難しいのは、
それがオリジナリティーのある面白さだからだ。
イケメンパラダイス現代忍者版
(女子高生の姫を守る忍者達vs敵忍者!)、
ハイセンスギャグでありながらシリアスもたっぷり、
殺陣もCGも頑張ってて、ドラマが途中からすごくなってくる、
などとしか言いようがないではないか。


自作の面白さとはなんだろう、
を考え始めると、切りがない迷路に入る。
そんなときは、自分の好きな作品の面白さを自分の言葉で表現してみるとよい。
それらの言葉を使って、再び自作を相対的に見てみるといいだろう。

言葉はいつも真実に足りない。
だが言葉でしか、我々は共通の表現をもてないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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