日本の働きかたは、農耕民族ゆえに農業をベースにしている。
ルーチンワーク、誰がやっても同じ出来にすること、
ビギナーズラックはないこと、
時給ベースの残業あり(一定の作業をすると一定のリターンが得られること)、
シフトを代わったりしても、引き継げば仕事は回ること、
年功序列システム、
毎年一定の年収をベースとした税収システムなどだ。
豊作不作はあるものの、一定の労力を平均的に稼働し、
毎年一定のリターンが(同じことをする限り)得られることが前提だ。
しかし、脚本はそうではない。
例えるなら、漁業だ。
当たり外れが多い。
捕れるときは大漁だし、ボウズの日もある。
そこにある種の勘はあるものの、
植物のような法則性はない。
獲物は常に移動し、その動きをとらえなくてはならない。
労力に比例した出来にはならない。
ビギナーズラックで当たりを引けることもある。
ベテランがどれだけ時間をかけても、駄目なときは駄目だ。
だから時給というより出来高制だ。
捕れた奴に払い、捕れなかった奴には払わない。
だから、努力してコツコツ徐々に貯金して、
大勝ちすることがないから計画的に資源を配分する農業型に比べ、
調子が良ければいくらでも捕れるから、
まあ海に出ればなんとかなるだろ、
と刹那的な計画性になる。
日本の会社システムは農業ベースだ。
仕事への考え方も、賃金の仕組みも。
これは、映画製作会社や映画館もである。
プロデューサーやスポンサーもだ。
一方、脚本や俳優は、漁業ベースだ。
互いに人生観や仕事観が、全然違う。
農業から見れば漁業は、
さぼってばっかりに見えるし、
品質のばらつきがあることが分からないし、
名作をものにしたら次も名作を書けると思い込んでるし、
一度駄作をつくったら毎回駄作だと思い込んでるし、
謎の法則で動いてる気分屋だし、
宵越しの金を持たないお調子者だし、
替えが利かないし、
才能は引き継ぎできないし、
ひとつに特化して応用が利かないし、
ブイブイ言わせてキラキラしてるように見える。
漁業から見れば農業は、
毎度毎度同じことをしてる馬鹿に見えるし、
作業予測なんて立てられるわけないのに立ててるし、
それを元に計算式で未来を予想するし、
誰かがいなくなっても代わりがすぐ来るし、
そんな代わりが沢山いて、誰が誰か分からないし、
そもそもその人の責任範囲や個性や能力が際立ってないし、
お金をかけただけリターンがあると単純に思ってるし
(問題は出来だろう!)
毎年同じ行事をやるし、
けちだし、
異質なものを排除したがるし、
なるべく均質にすることがいいことだと思ってるし、
(だから全員の意見を等しく取り入れようとする馬鹿に見える。
そんなことをしてたら船は沈むのに)
徒党を組んで監視しあっているように見える。
だから、理解しあえない。
理解しあうためには、それぞれのいいところと悪いところと、本質を知るべきだ。
漁業にたとえたが、狩猟民族でもよい。
農業の人たちは土地(会社)に縛られるが、
狩猟民族は、土地が痩せたら他の土地へゆくだけだ。
誰もいない土地を、勝手に駆け回るのだ。
(地球がまだ有限でなかった時代の遺伝子や生き方である)
さて、何が言いたいかと言うと、
プロデューサーなどの「会社の人」からは、
僕らは理解されないということだ。
脚本家のことを分かる人は、漁業側の人である。
僕はやっぱり漁業側の人間なので、
農業側の人の気持ちが、やっぱり理解出来ない。
僕らは世の中という海に出て、
名作という大漁を捕ってくる、
法則性のない、才能と運一本の、
ハイリスクハイリターンな生き方なのだ。
2014年10月16日
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