2014年10月16日

脚本とは、農業でなく漁業である

日本の働きかたは、農耕民族ゆえに農業をベースにしている。
ルーチンワーク、誰がやっても同じ出来にすること、
ビギナーズラックはないこと、
時給ベースの残業あり(一定の作業をすると一定のリターンが得られること)、
シフトを代わったりしても、引き継げば仕事は回ること、
年功序列システム、
毎年一定の年収をベースとした税収システムなどだ。
豊作不作はあるものの、一定の労力を平均的に稼働し、
毎年一定のリターンが(同じことをする限り)得られることが前提だ。

しかし、脚本はそうではない。
例えるなら、漁業だ。



当たり外れが多い。
捕れるときは大漁だし、ボウズの日もある。
そこにある種の勘はあるものの、
植物のような法則性はない。
獲物は常に移動し、その動きをとらえなくてはならない。
労力に比例した出来にはならない。
ビギナーズラックで当たりを引けることもある。
ベテランがどれだけ時間をかけても、駄目なときは駄目だ。
だから時給というより出来高制だ。
捕れた奴に払い、捕れなかった奴には払わない。

だから、努力してコツコツ徐々に貯金して、
大勝ちすることがないから計画的に資源を配分する農業型に比べ、
調子が良ければいくらでも捕れるから、
まあ海に出ればなんとかなるだろ、
と刹那的な計画性になる。


日本の会社システムは農業ベースだ。
仕事への考え方も、賃金の仕組みも。
これは、映画製作会社や映画館もである。
プロデューサーやスポンサーもだ。

一方、脚本や俳優は、漁業ベースだ。
互いに人生観や仕事観が、全然違う。

農業から見れば漁業は、
さぼってばっかりに見えるし、
品質のばらつきがあることが分からないし、
名作をものにしたら次も名作を書けると思い込んでるし、
一度駄作をつくったら毎回駄作だと思い込んでるし、
謎の法則で動いてる気分屋だし、
宵越しの金を持たないお調子者だし、
替えが利かないし、
才能は引き継ぎできないし、
ひとつに特化して応用が利かないし、
ブイブイ言わせてキラキラしてるように見える。

漁業から見れば農業は、
毎度毎度同じことをしてる馬鹿に見えるし、
作業予測なんて立てられるわけないのに立ててるし、
それを元に計算式で未来を予想するし、
誰かがいなくなっても代わりがすぐ来るし、
そんな代わりが沢山いて、誰が誰か分からないし、
そもそもその人の責任範囲や個性や能力が際立ってないし、
お金をかけただけリターンがあると単純に思ってるし
(問題は出来だろう!)
毎年同じ行事をやるし、
けちだし、
異質なものを排除したがるし、
なるべく均質にすることがいいことだと思ってるし、
(だから全員の意見を等しく取り入れようとする馬鹿に見える。
そんなことをしてたら船は沈むのに)
徒党を組んで監視しあっているように見える。


だから、理解しあえない。

理解しあうためには、それぞれのいいところと悪いところと、本質を知るべきだ。


漁業にたとえたが、狩猟民族でもよい。
農業の人たちは土地(会社)に縛られるが、
狩猟民族は、土地が痩せたら他の土地へゆくだけだ。
誰もいない土地を、勝手に駆け回るのだ。
(地球がまだ有限でなかった時代の遺伝子や生き方である)


さて、何が言いたいかと言うと、
プロデューサーなどの「会社の人」からは、
僕らは理解されないということだ。
脚本家のことを分かる人は、漁業側の人である。

僕はやっぱり漁業側の人間なので、
農業側の人の気持ちが、やっぱり理解出来ない。

僕らは世の中という海に出て、
名作という大漁を捕ってくる、
法則性のない、才能と運一本の、
ハイリスクハイリターンな生き方なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック