小さな面白さであろうが、
大きな面白さであろうが、
面白いことにはひとつの共通点がある。
それは、工夫されてることだと思う。
リアルをそのまま写すのがずっと流行っている。
それがいいという風潮すらある。
僕はあまり面白いと思わない。
覗き見は楽しいが、
それは物語の楽しみではない。
リアルなことを、上手く凝縮して何かのオリジナルな表現にすることが面白いと思っている。
例えば(かつての)言葉の天才松本人志の小ネタに、
「テトリスの角が丸くなるまでやった」というのがある。
デジタルなのにアナログのことを入れてくる天才的工夫だ。
逆にSPA!という雑誌のバカサイというコーナーで、
「そのまんま川柳」という、工夫しないことの面白さを競うコーナーもある。
面白さとは工夫だ、と逆から見ている着眼点の頭のよさ。
(SPA!は、いまや数少なくなったサブカルの砦のようなものだ)
面白さは笑いに限らない。
他人の面白いものをそのまま持ってきて切り出していないか。
そこに一工夫加えて、表現として面白いものにしているか。
結局、人が面白いと思うものは、
その手間がかかっているものではないかと思うのだ。
(CGが面白くないのは、その手間を想像できないからだ。
出来上がりが自然なことに手間がかかる、という逆説だからだ。
モデリングやアニメーションや馴染みなど、様々な行程が分からないからだ。
自炊するまで料理の手間が分からないのと似ている)
手間とか工夫とか、趣向とか。
幼稚園のときにやった、折り紙を短冊状に切り、
わっかにしてチェーンをつくって、飾り付けにしたことを思い出す。
その一工夫(思いつき)を、人は面白いと思うのだろう。
デジタル時代になって安易なコピペが、創作をダメにしている気がしていたが、
面白さとは工夫や手間のこと、というアナログ的発想が、
それを否定出来るのではないかと思う。
2014年10月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック