2014年10月20日

だらだら書いて、なんかでごまかす

執筆中、ついこれをやっていないか。
なんかでごまかして、何か書いた気になっていないか。

大抵それはばれている。


それはだらだら書いているときは、
何も書いてないからだ。

書いている、とは、「メインプロットの進行」のことだけについて言う。

サブプロットも、キャラクターの感情移入も、
ひょっとしたらただのほのぼのシーンも、
それは、実質何も書いていない。


もちろん、「メインプロットの進行に必要なこと」であるならば、
それは存在を許される。

サブプロットは、メインプロットの進行に関わりがあるのなら、
それは何かを書いている。
キャラクターの感情移入は、メインプロットの進行に関係があるなら、
それは何かを書いている。
ただのほのぼのシーンは、メインプロットの進行に関係があるなら、
それは何かを書いている。

たとえば風魔の7話、たまねぎの皮を剥くシーンは、
ただのほのぼのシーンの息抜きではない。
「青春ってなんだ」というメインプロットに関わることへ落ちてゆくから、
存在の意味があるのだ。


手癖やリアリティーで、
何かをとりあえず書いてしまうことは、よくあることだ。
それを書きたいという衝動が創作意欲であることもあるだろう。
それはそれで構わない。
問題は、それがメインプロットの進行に関わっているかどうかだ。


だらだら書くと、メインプロットとの関わりを避けてしまう。
正面から関わりを避けるから、だらだら書いて楽になりたいのだ。
それは、無意識の逃避行動である。
これを外から眺めると、いつまでたっても本題が進まないなあ、
逃げてんじゃないの?とばればれなのである。

だらだら書いて、なんとなく落ちをつけて、
書いた気になってはいけない。
本題に興味を持たせ、本題の進行に夢中にさせるための、
一行も無駄にできないその部分を書いているのだということを、
いつも自覚しよう。

で、本題ってなんだっけ?
と、時々自分に問うのはいいことだ。
その場面、本題の進行に必要?
と、時々自分に問うのはいいことだ。


だらだら書くのは、おしゃべりのように、思いつきで書けて楽しい。
それが、書いた気にさせるのである。

もし本題が始まる前の、あなたの気持ちの助走部分であるとしたら、
本題が始まる以降だけを残してその前をばっさり切るといい。

本題が、物語であるのだから。



(困ったことに、本題のはじまるこの前の部分が、
物凄く魅力的な書き方をする人がいる。
しかし本題がはじまったら、途端につまらなくなることも真実だ。
そういう人は、要するに本題を書く実力がないのである)
posted by おおおかとしひこ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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