何に困っているか、言葉に出来れば、
解決の半分まで来てるという話。
(ちょっと宗教っぽい?)
お話の創作と執筆は、とても難しい。
小説なら書いたもの=仕上がったものだが、
脚本は書いたもので完成ではなく、
撮影編集公開されてようやく仕上がりだから、
余計に難しい。
どんな途中でも、簡単に困ったことが出てくる。
あなたは今何に困っているか、
言葉にしてみることをおすすめする。
勢いよく書けていたのが急に止まった→何故か?
→次に書くことが分かっているのに気持ちが乗らない
→気持ちが次に乗るような伏線を事前に張ってはどうか
→なるほどそれはなかった、やってみる
→しかし書ける気がしない、胃のキリキリするような、
女同士の会話のリアリティーが足りない
→それが話にとって致命的なら取材せよ、
単なるディテールならあとで直せるから、
一般的な話題で乗りきれ、話を進めることだ、本題は何だ
→女同士の会話はそこそこにして、本題をはじめることにする、
たとえば実家に帰ったときに親から言われたら嫌なことをアレンジして、
本題へ直結させる
のような、自己解決が可能になるからだ。
実際この解決の仕方は、つい一昨日僕がやったことだ。
言葉は武器だ。
困ったことを、字で書くとよい。
字で書いた瞬間、それはあなた一人の中にあるものではなく、
外に出た、客観的なものになる。
他人である。
他人の困っていることを、
あなたがアドバイスすればいいのだ。
これが人生で困ったことの解決なら、
宗教や占いになるのかも知れないが、
答えの簡単に出ない人生と違って、
我々には脚本理論がある。
理想はどういう形だろう、を考えれば、
現状と何が違うかを判断できる筈だ。
(人生は答えがないから難しい。宗教とは、それにモデルロールを置くことかもだ)
困ったら、名作はどうしてるかを思い出すとよい。
僕は大抵ロッキーとカリ城と風魔を思い出して、
それでも分からなければ似たようなジャンルやシチュエーションを思い出して、
応用することにしている。
(その為に生涯のベストムービーを決め、
何度も何度も見ることや、研究することはとても大事だ)
そのままパクるのは三流だ。
そうではなくて、どうやってその困ったことを解決しているかという、
原理を言葉にするのだ。
その原理を、現状の困ったことの解決に使えばよいのだ。
これはパクりではなく、応用だ。
そういう原理だけをまとめていくと、
奥義書のようなものがつくれるかも知れない。
例えば僕が大学時代に野島伸司ドラマを研究したときのメモには、
「行き詰まったら電話がかかってくる」というのがある。
どうしよう、どうすればいいんだ…となったとき、
いきなりリリリリリンと電話がなってビクッとするのだ。
(黒電話だから怖かった)
電話でなくても、来訪者ならなんでもよい。
これで緊張感を失わないまま、次の展開へ繋ぐことが出来る。
勿論来訪者は見知らぬ人ではなく、これまでに出てきた誰かだ。
緊張の果てにどうしていいか分からないとき突然電話がかかってきたら、
大岡は困ってるかも知れないと思ってくれ。(笑)
こんな小技集を、自分の中に108式ぐらいは作っておこう。
(俺ら世代的には48の殺人技か)
必要は発明の母だ。
困らない限り、突破する経験は積めない。
(人生とはほとんど物語のようだね)
2014年10月21日
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