ワンカット撮影が本当に緊張感があるのは、
緊張感があるように台本が書かれているときだけだ。
なんでもいいから、日常の風景や会話を15分カメラを回して、
静かな部屋で再生してみるとよくわかる。
なるべく多くの場所での、
ワンカットの緊張感がありそうな場所で撮影してみることをおすすめする。
喫茶店やファミレスや居酒屋やバーの人が話すところ、
魚市場などの競り、会社のオフィスや会議室や給湯室、
屋上や河原、交差点や踏切や駅前などなど。
そこでは、想像よりもまるで文脈のない映像が写し出されているだけだ。
例えばワンカットものによく出る、監視カメラの映像は、
どれだけ時間を回した中での数分間なのだろう。
一ヶ月回して数分か、一年回して数分か。
膨大な時間の、ほんの数秒や数分しか、
緊張感がある場面などないはずだ。
それは確率でいえば何万分の一やそれ以下だ。
宝くじとどっちが当たるかぐらいの勢いだ。
実はワンカットであろうがなかろうが、
緊張感があるのは、
その人の具体的な目的と動機が、事前に分かっているときだ。
「それは成功(実現)するのか」が、
最も緊張感があることなのだ。
投稿した以上気になって、
クォータースターコンテストの作品をちらほら見てみた。
驚くほど、
「目的や動機が明確で、その成否に緊張感があるもの」
がなくてびっくりした。
(ありていにいえばレベル低くね?ってこと。勿論きちんとしたものもあったので、
驚くほどハズレが多い、と言っておこう)
もしワンカットという手法が緊張感があるのだとしたら、
どの作品も緊張感に満ちているだろう。
ところが殆どの作品は退屈なのだ。
緊張感とは、脚本でつくるのだ。
役者の空気でもつくることは可能だが、
数分ももたない。
今何を成功させたいのか、
という動機を明らかにし、出来れば感情移入させない限り、
成功するかどうかという緊張感は発生しないだろう。
(「多分、大丈夫」では、池やんが秘密を打ち明けようとしていることが、
何回かはぐらかされる。ヨシオが彼の死を知ったときが、彼が動機を知るときだ。
ここから彼はどうするのか?、正確に言えば、
ボールや彼のことをどう受け止めるのか、がクライマックスの焦点になる)
ワンカットには緊張感はない。
成功するかどうか、に緊張感がある。
(成功するかどうかを、ワンカットで見る、というのには緊張感がある)
それは、ただのハプニング(一瞬緊張するが持続しない)にはなく、
現実の長回しには殆どない。
それをつくるのは、ストーリー、つまり脚本以外にない。
分かってる人には分かる話なのだが、
分からない人には一生分からない話なのがつらいところ。
2014年10月21日
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